目の夫だとも言ふ。それが頗る妙で、富江が此村へ来てからの三年の間、お正月を除いては、農繁の休暇《やすみ》にも暑中の休暇にも、遂ぞ盛岡に帰らうとしない。それを怪んで訊ねると、
『何有《なあに》、私なんかモウお婆さんで、夫の側に喰付《くつつ》いてゐたい齢でもありません。』と笑つてゐる。対手によつては、女教師の口から言ふべきでない事まで平気で言つて、恥づるでもなく戯談《じようだん》にして了ふ。
 村の人達は、富江を淡白《きさく》な、さばけた、面白い女《ひと》として心置なく待遇《あしら》つてゐる。殊にも小川の母――お柳にはお贔負《きにいり》で、よく其《その》家《いへ》にも出入する。其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》事から、この町に唯一軒の小川家の親籍といふ、立花といふ家《うち》に半自炊の様にして泊つてゐるのだ。服装《みなり》を飾るでもなく書《ほん》を読むでもない。盛岡には一文も送らぬさうで、近所の内儀さんに融通してやる位の小金は何日《いつ》でも持つてゐると言ふ。
 街路《みち》は八分通り蔭《かげ》つて、高声に笑ひ交してゆく二人の、肩から横顔を明々《あかあか》と照す傾いた日もモウ左程暑くない。
『だが何だ、神山さんは何日見ても若いですね。』と揶揄《からか》ふ様に甘つたるく舌を使つて、信吾は笑ひながら女を見下した。
『奢りませんよ。』と言ふ富江の声は訛つてゐる。『ホヽヽ、いくら髯《ひげ》を生やしたつて其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]|年老《としと》つた口は利くもんぢやありませんよ。』
『呀《おや》、また髯《ひげ》を……。』
『寄つてらツしやい。』
と富江は俄かに足を留めた。何時しか己《おの》が宿の前まで来たのだ。
『次にしませう。』
『何故? モウ虐めませんよ。』
『御馳走しますか?』
『しますとも……。』
と言つてる所へ、家《うち》の中から四十五六の汚らしい装《なり》をした、内儀《かみ》さんが出て来て、信吾が先刻《さつき》寄つて呉れた礼を諄々《くどくど》と述べて、夫もモウ帰る時分だから是非上れと言ふ。夫の金蔵といふ此《この》家《や》の主人は、二十年も前から村役場の書記を勤めてゐるのだ。
 信吾がそれを断つて歩き出すと、
『信吾さん、それぢや屹度推しかけて行きますよ。』
『あ
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