、同年輩《おないどし》の、見悄《みすぼ》らしい装《なり》をした、洗晒しの白手拭を冠《かぶ》つた小娘が、大時計の下に腰掛けてゐる、目のシヨボ/\した婆様《ばあさん》の膝に凭れてゐた。
 駅員が二三人、駅夫室の入口に倚懸《よりかか》つたり、蹲んだりして、時々|此方《こつち》を見ながら、何か小声に語り合つては、無遠慮に哄《どつ》と笑ふ。静子はそれを避ける様に、ズツと端の方の腰掛に腰を掛けた。銘仙|矢絣《やがすり》の単衣《ひとへ》に、白茶の繻珍《しゆちん》の帯も配色《うつり》がよく、生際《はえぎは》の美しい髪を油気なしのエス巻に結つて、幅広の鼠《ねず》のリボンを生温かい風が煽る。化粧《けは》つてはゐないが、さらでだに七難隠す色白に、長い睫毛《まつげ》と格好のよい鼻、よく整つた顔容《かほだて》で、二十二といふ齢よりは、誰《た》が目にも二つか三《み》つは若い。それでゐて、何処か恁《か》う落着いた、と言ふよりは寧ろ、沈んだ処のある女だ。
 六月|下旬《すゑ》の日射《ひざし》が、もう正午《ひる》に近い。山国《さんごく》の空は秋の如く澄んで、姫神山の右の肩に、綿の様な白雲が一団《ひとかたまり》、彫出された様に浮んでゐる。燃ゆる様な好摩《かうま》が原の夏草の中を、驀地《ましぐら》に走つた二条の鉄軌《レール》は、車の軋つた痕に烈しく日光を反射して、それに疲れた眼が、※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1−92−55]《はる》か彼方《むかう》に快い蔭をつくつた、白樺の木立の中に、蕩々《とろとろ》と融けて行きさうだ。
 静子は眼を細くして、恍然《うつとり》と兄の信吾の事を考へてゐた。去年の夏は、休暇がまだ二十日も余つてる時に、信吾は急に言出して東京に発《た》つた。それは静子の学校仲間であつた平沢清子が、医師《いしや》の加藤と結婚する前日であつた。清子と信吾が、余程|以前《まへ》から思ひ合つてゐた事は、静子だけがよく知つてゐる。
 今度帰るまいとしたのも、或は其《その》、己に背いた清子と再び逢ふまいとしたのではなからうかと、静子は女心に考へてゐた。それにしても帰つて来るといふのは嬉しい、恁《か》う思返して呉れたのは、細々《こまごま》と訴へてやつた自分の手紙を読んだ為だ、兄は自分を援けに帰るのだと許《ばか》り思つてゐる。静子は、目下《いま》持上つてゐる縁談が、種々《いろいろ》の事情があつて両親
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