ね? ハヽヽ。』
昌作はムツとした顔をして、返事はせずに、吉野の顔色を覗《うかが》つた。
然うしてる所へ、母屋の方には賑かな女の話声。下女が前掛で手を拭きながらバタ/\駆けて来て、
『若旦那|様《さま》、お嬢様、板垣様の叔母|様《さま》が盛岡からお出《で》アンした。』
『アラ今日|被来《いらしつ》たの。明日かと思つたら。』と、静子は吉野に会釈して怡々《いそいそ》下女の後から出て行く。
『父の妹が泊懸《とまりがけ》に来たんだ。一寸行つて会つてくるよ。』
と信吾も立つた。昌作は何時の間にか居ない。
吉野は眉間《みけん》の皺を殊更深くして、眤《じつ》と植込の辺《あたり》に瞳を据ゑてゐた。
(八)の一
智恵子は渡辺の家に一泊して、渡辺の妹の久子といふのと翌一日《あくるついたち》大沢の温泉に着いたのであつた。その夕方までには、二十幾名の級友大方臨渓館といふ温泉宿の二階に、県下の各地方から集つた。
兎角女といふものは、学校にゐる時は如何に親くても、一度別れて了へば心ならずも疎《うと》くなり易い。それは各々《おのおの》の境遇が変つて了ふ為で、智恵子等のそれは、卒業してからも同じ職業に就いてるからこそ、同級会といふ様なものも出来るのだ。三年の月日を姉と呼び妹と呼んで一棟の寄宿舎に起臥《おきふし》を共にした間柄、校門を辞して散々《ちりぢり》に任地に就いてからの一年半の間《うち》に、身に心に変化のあつた人も多からうが、さて相共に顔を合せては、自《おのづ》から気が楽しかつた寄宿舎時代に帰つた。数限りなき追憶《おもひで》が口々に語られた。気軽な連中は、階下の客の迷惑も心づかず、その一人が弾くヴアイオリンの音に伴れてダンスを始めた。恁《か》くて此若い女達は翌《あくる》二日の夜更までは何も彼も忘れて楽みに酔うた。欠席したのは四人、その一人は死に、その一人は病み、他の二人は懐妊中とのことで。――結婚したのはこの外にも五六人あつた。
各々の任地の事情が、また、事細かに話し交された。語るべき友の乏しいといふ事、頭脳《あたま》の旧い校長の悪口、同じ師範出の男教員が案外不真面目な事、師範出以外の女教員の劣等な事、これらは大体に於て各々の意見が一致した。
中に一人、智恵子の村の加藤医師と遠縁の親籍だといふのがあつた。その女から、智恵子は清子に宛てた一封の手紙を托された。
その
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