も為難《しにく》い。夏中|逗留《とうりう》するといへば、怎《ど》うせ又顔を合せなければならぬのだ。
それで、吉野が線路を横切つて来るのを待つて、少し顔を染め乍ら軽くS巻の頭を下げて会釈した。
『や、意外な処でお目に懸ります。』と余り偶然な邂逅を吉野も少し驚いたらしい。
『先日は失礼致しました。』
『怎《ど》うしまして、私《わたくし》こそ……。』と、脱《と》つた帽子の飾紐《リボン》に切符を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]みながら、『フム、小川の所謂|近世的婦人《モダーンウーマン》が此《この》女《ひと》なのだ!』と心に思つた。
そして、体を捻つて智恵子に向ひ合つて、
『後で静子さんから承つたんですが、貴女は日向さんと被仰《おつしや》るんですね?』
『ハ、左様で御座います。』
『何れお目に懸る機会も有るだらうと思つてましたが、僕は吉野と申します。小川に居候に参つたんで。』
『お噂は、予《かね》て静子さんから承つて居りました。』
『来たよウ。』と駅夫が向側で叫んだので、二人共目を転じて線路の末を眺めると、遠く機関車の前部《まへ》が見えて、何やらキラ/\と日に光る。
『今日は何処《どちら》まで?』
『盛岡までで御座います。』
『成程、学校は明日から休暇なさうですね。何ですか、お家は盛岡で?』
『否《いいえ》。』と智恵子は慎謹《つつまし》げに男の顔を見た。『学校に居りました頃からの同級会が、明後日大沢の温泉に開かれますので、それでアノ、盛岡のお友達をお誘ひする約束が御座いまして。』
『然うですか。それはお楽みで御座いませう。』と鷹揚に微笑を浮べた。
『貴君は何処《どちら》へ?』
『矢張その盛岡までです。』
吉野は不図《ふと》、自分が平生《いつ》になく流暢に喋つてゐたことに気が付いた。
列車が着くと、これは青森上野間の直行なので車内は大分《だいぶ》込んでゐる。二人の外には乗る者も、降りる者もない。漸々《やうやう》の事で、最後の三等車に少許《すこし》の空席《すき》を見付けて乗込むと、その扉を閉め乍ら車掌が号笛《ふえ》を吹く。慌しく※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]笛が鳴つて、ガタリと列車が動き出すと、智恵子はヨラ/\と足場を失つて、思はず吉野に凭掛《よりかか》つた。
(六)の三
吉野は窓側へ、直ぐ隣つて智恵
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