何時しか健の眼に隨つて動く樣になつてゐる事は、氣が附かずにゐた。
齡から云へば、孝子は二十三で、健の方が一歳下の弟である。が、健は何かの事情で早く結婚したので、その頃もう小兒も有つた。そして其家が時として其日の糧にも差支へる程貧しい事は、村中知らぬ者もなく、健自身も別段隱す風も見せなかつた。或る日、健は朝から浮かぬ顏をして、十分の休み毎に欠伸《あくび》許りしてゐた。
『奈何なさいましたの、千早先生、今日はお顏色が良くないぢやありませんか?』
と孝子は何かの機會に訊いた。健は出かゝかつた生欠伸を噛んで、
『何有《なあに》。』と言つて笑つた。そして、
『今日は煙草が切れたもんですからね。』
孝子は何とも言ふことが出來なかつた。健が平生人に魂消られる程の喫煙家で、職員室に入つて來ると、甚※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]事があらうと先づ煙管を取り上げる男であることは、孝子もよく知つてゐた。卓隣りの秋野は其煙草入を出して健に薦めたが、渠は其日一日|喫《の》まぬ積りだつたと見えて、煙管も持つて來てゐなかつた。そして、秋野の煙草を借りて、美味さうに二三服續け樣に喫んだ。孝子はそれを見てゐるのが、何がなしに辛かつた。宿へ歸つてからまで其事を思出して、何か都合の好い名儀をつけて健に金を遣る途はあるまいかと考へた事があつた。又去年の一夏、健が到頭古袷を着て過した事、それで左程暑くも感じなかつたといふ事なども、渠自身の口から聞いてゐたが、村の噂はそれだけではなかつた。其夏、毎晩夜遲くなると、健の家――或る百姓家を半分|劃《しき》つて借りてゐた――では、障子を開放して、居たたまらぬ位杉の葉を燻しては、中で頻りに團扇で煽いてゐた。それは多分蚊帳が無いので、然うして蚊を逐出してから寢たのだらうといふ事であつた。其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]に苦しい生活をしてゐて、渠には些とも心を痛めてゐる風がない。朝から晩まで、眞に朝から晩まで、子供等を對手に怡々《いそ/\》として暮らしてゐる。孝子が初めて此學校に來た秋の頃は、毎朝|昧爽《よあけ》から朝飯時まで、自宅に近所の子供等を集めて「朝讀」といふのを遣つてゐた。朝な/\、黎明の光が漸く障子に仄めいた許りの頃、早く行くのを競つてゐる子供等――主に高等科の――が戸外から聲高に友達を呼び起して行くのを、孝子は毎朝の樣にまだ臥床の中で聞いたものだ。冬になつて朝讀が出來なくなると、健は夜な/\九時頃までも生徒を集めて、算術、讀方、綴方から歴史や地理、古來の偉人の傳記逸話、年上の少年には英語の初歩なども授けた。此二月村役場から話があつて、學校に壯丁教育の夜學を開いた時は、三週間の期間を十六日まで健が一人で教へた。そして終ひの五日間は、毎晩裾から吹き上げる夜寒を怺へて、二時間も三時間も教壇に立つた爲に風邪を引いて寢たのだといふ事であつた。
それでゐて、健の月給は唯八圓であつた。そして、その八圓は何時でも前借になつてゐて、二十一日の月給日が來ても、いつの月でも健には、同僚と一緒に月給の渡されたことがない。四人分の受領書を持つて行つた校長が、役場から歸つて來ると、孝子は大抵紙幣と銀貨を混ぜて十二圓渡される。檢定試驗上りの秋野は十三圓で、古い師範出の校長は十八圓であつた。そして、校長は氣の毒相な顏をし乍ら、健にはぞんざいな字で書いた一枚の前借證を返してやる。渠は平然《けろり》としてそれを受取つて、クル/\と圓めて火鉢に燻《く》べる。淡い焔がメラ/\と立つかと見ると、直ぐ消えて了ふ。と、渠は不揃ひな火箸を取つて、白くなつて小く殘つてゐる其灰を突く。突いて、突いて、そして上げた顏は平然《けろり》としてゐる。
孝子は氣の毒さに見ぬ振りをしながらも、健の其態度をそれとなく見てゐた。そして譯もなく胸が迫つて泣きたくなることがあつた。其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]時は、孝子は用もない帳簿などを弄《いぢく》つて、人後《ひとあと》まで殘《のこ》つた。月給を貰つた爲めに怡々《いそ/\》して早く歸るなどと、思はれたくなかつたのだ。
孝子の目に映つてゐる健は、月給八圓の代用教員ではなかつた。孝子は或る時その同窓の女友達の一人へ遣つた手紙に、この若い教師のことを書いたことがある。若しや詰らぬ疑ひを起されてはといふ心配から、健には妻子のあることを詳しく記した上で、
『私の學校は、この千早先生一人の學校と言つても可い位よ。奧樣やお子樣のある人とは見えない程若い人ですが、男生でも女生でも千早先生の言ふことをきかぬ者は一人もありません。そら、小野田教諭がいつも言つたでせう――教育者には教育の精神を以て教へる人と、教育の形式で教へる人と、二種類ある。後者には何人でも成れぬことはないが、前者は百人に一人、千人に一人しか無いもので、學んで出來ることではない、謂はば生來の教育者である――ツて。千早先生はその百人に一人しかない方の組よ。教授法なんかから言つたら、先生は亂暴よ、隨分亂暴よ。今の時間は生徒と睨めツくらをして、敗けた奴を立たせることにして遊びましたよなどゝ言ふ時があります。(遊びました)といふのは嘘で、先生は其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]事をして、生徒の心の散るのを御自分の一身に集めるのです。さうしてから授業に取り懸るのです。偶に先生が缺勤でもすると、私が掛持で尋常二年に出ますの。生徒は決して、私ばかりでなく誰のいふことも、聞きません。先生の組の生徒は、先生のいふことでなければ聞きません。私は其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]時、「千早先生はさう騷いでも可いと教へましたか?」と言ひます。すると、直ぐ靜肅になつて了ひます。先生は又、教案を作りません。その事で何日だつたか、巡つて來た郡視學と二時間許り議論をしたのよ。その時の面白かつたこと! 結局視學の方が敗けて胡麻化して了つたの。
『先生は尋常二年の修身と體操を校長にやらして、その代り高等科(校長の受持)の綴方と歴史地理に出ます。今度は千早先生の時間だといふ時は、鐘が鳴つて控所に生徒が列んだ時、その高等科の生徒の顏色で分ります。
『尋常二年に由松といふ兒があります。それは生來の低腦者で、七歳になる時に燐寸を弄んで、自分の家に火をつけて、ドン/\燃え出すのを、手を打つて喜んでゐたといふ兒ですが、先生は御自分の一心で是非由松を普通の子供にすると言つて、暇さへあればその由松を膝の間に坐らせて、(先生は腰かけて、)上から昵と見下しながら肩に手をかけて色々なことを言つて聞かせてゐます。その時だけは由松も大人しくしてゐて、終ひには屹度メソ/\泣き出して了ひますの。時として先生は、然うしてゐて十分も二十分も默つて由松の顏を見てゐることがあります。二三日前でした、由松は先生と然うしてゐて、突然眼を瞑つて背後《うしろ》に倒れました。先生は靜かに由松を抱いて小使室へ行つて、頭に水を掛けたので子供は蘇生しましたが、私共は一時|喫驚《びつくり》しました。先生は、「私の精神と由松の精神と角力をとつて、私の方が勝つたのだ。」と言つて居られました。その由松は近頃では清書なんか人並に書く樣になりました。算術だけはいくら骨を折つても駄目ださうです。
秀子さん、そら、あの寄宿舍の談話室ね、彼處の壁にペスタロッヂが子供を教へてゐる畫が掲《か》けてあつたでせう。あのペスタロッヂは痩せて骨立つた老人でしたが、私、千早先生が由松に物を言つてるところを横から見てゐると、何といふことなくあの畫を思ひ出すことがありますの。それは先生は、無論一生を教育事業に獻げるお積りではなく、お家の事情で當分あゝして居られるのでせうが、私は恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》人を長く教育界に留めて置かぬのが、何より殘念な事と思ひます。先生は何か人の知らぬ大きな事を考へて居られる樣ですが、私共には分りません。然しそのお話を聽いてゐると、常々私共の行きたい/\と思つてる處――何處ですか知りませんが――へ段々連れて行かれる樣な氣がします。そして先生は、自分は教育界の獅子身中の蟲だと言つて居られるの。又、今の社會を改造するには先づ小學教育を破壞しなければいけない、自分に若し二つ體があつたら、一つでは一生代用教員をしてゐたいと言つてます。奈何して小學教育を破壞するかと訊くと、何有《なあに》ホンの少しの違ひです、人を生れた時の儘で大きくならせる方針を取れや可いんですと答へられました。
『然し秀子さん、千早先生は私にはまだ一つの謎です。何處か分らないところがあります。ですけれども、毎日同じ學校にゐて、毎日先生の爲さる事を見てゐると、どうしても敬服せずには居られませんの。先生は隨分苦しい生活をして居られます。それはお氣の毒な程です。そして、先生の奧樣といふ人は、矢張り好い人で、優しい、美しい(但し色は少し黒いけれど)親切な方です……。』
と書いたものだ。實際それは孝子の思つてゐる通りで、この若い女教師から見ると、健が月末の出席|歩合《ぶあひ》の調べを怠けるのさへ、コセ/\した他の教師共より偉《えら》い樣に見えた。
が、流石は女心で、例へば健が郡視學などと揶揄半分に議論をする時とか、父の目の前で手嚴しく忠一を叱る時などは、傍《はた》で見る目もハラ/\して、顏を擧げ得なかつた。
今も、健が聲高に忠一を叱つたので、宿直室の話聲が礑《はた》と止んだ。孝子は耳敏くもそれを聞き附けて忠一が後退《あとしざ》りに出て行くと、
『まア、先生は。』と低聲に言つて、口を窄めて微笑みながら健の顏を見た。
『ハハヽヽ。』と、渠は輕く笑つた。そして、眼を圓くして直ぐ前に立つてゐる新入生の一人に、
『可いか。お前も學校に入ると、不斷先生の斷りなしに入つては不可《いけな》といふ處へ入れば、今の人の樣に叱られるんだぞ。』
『ハ。』と言つて、其兒はピョコリと頭を下げた。火傷の痕の大きい禿が後頭部に光つた。
『忠一イ。忠一イ。』と、宿直室から校長の妻の呼ぶ聲が洩れた。健と孝子は目と目で笑ひ合つた。
軈て、埃に染みた、黒の詰襟の洋服を着た校長の安藤が出て來て、健と代つて新入生を取扱つた。健は自分の卓に行つて、その受持の教務にかかつた。
九時半頃、秋野教師が遲刻の辯疏《いひわけ》を爲い/\入つて來て、何時も其室の柱に懸けて置く黒繻子の袴を穿いた時は、後から/\と來た新入生も大方來盡して、職員室の中は空いてゐた。健は卓の上から延び上つて、其處に垂れて居る索《なわ》を續け樣に強く引いた。壁の彼方では勇しく號鐘《かね》が鳴り出す。今か今かとそれを待ちあぐんでゐた生徒等は、一しきり春の潮の樣に騷いだ。
五分とも經たぬうちに、今度は秋野がその鐘索を引いて、先づ控所へ出て行つた。と、健は校長の前へ行つて、半紙を八つに疊んだ一枚の紙を無造作に出した。
『これ書いて來ました。何卒宜しく願ひます。』
笑ふ時目尻の皺の深くなる、口髯の下向いた、寒さうな、人の好さゝうな顏をした安藤は、臆病らしい眼附をして其紙と健の顏を見比べた。前夜訪ねて來て書式を聞いた行つたのだから、展《あ》けて見なくても解職願な事は解つてゐる。
そして、妙に喉に絡まつな聲で言つた。
『然うでごあんすか。』
『は。何卒《どうぞ》。』
綴ぢ了へた許りの新しい出席簿を持つて、立ち上つた孝子は、チラリと其疊んだ紙を見た。そして、健が四月に罷めると言ふのは豫々聞いてゐた爲めであらう、それが若しや解職願ではあるまいかと思はれた。
『何と申して可いか……ナンですけれども、お決《き》めになつてあるのだば爲方がない譯でごあんす。』
『何卒《どうか》宜しく、お取り計ひを願ひます。』
と言つて健は、輕く會釋して、職員室を出て了つた。その後から孝子も出た。
控所には、級が新しくなつて列ぶべき場所の解らなくなつた
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