、猾《ずる》さうな、臆病らしい眼附で健の顏を見ながら、忠一は徐々《そろ/\》と後退《あとしざ》りに出て行つた。爲樣のない横着な兒で、今迄健の受持の二年級であつたが、外の教師も生徒等も、校長の子といふのでそれとなく遠慮してゐる。健はそれを、人一倍嚴しく叱る。五十分の授業の間を隅に立たして置くなどは珍しくない事で、三日に一度は、罰として放課後の教室の掃除當番を吩附《いひつ》ける。其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]時は、無精者の母親がよく健の前へ來て、抱いてゐる梅ちやんといふ兒に胸を披《はだ》けて大きい乳房を含ませながら、
『千早先生、家の忠一は今日も何か惡い事しあんしたべすか?』などゝ言ふことがある。
『は。忠一さんは日増しに惡くなる樣ですね。今日も權太といふ子供が新しく買つて來た墨を、自分の机の中に隱して知らない振りしてゐたんですよ。』
『こら、彼方へ行け。』と、校長は聞きかねて細君を叱る。
『それだつてなす、毎日惡い事許りして千早先生に御迷惑かける樣なんだハンテ、よくお聞き申して置いて、後で私もよく吩附《いひつ》けて置くべと思つてす。』
 健は平
前へ 次へ
全40ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング