顏をしながら、それでも急いで吸殼を膝から拂ひ落して、『先生、出したつても今日の事だから、まだ校長の手許にあるベアハンテ、今の間《うち》に戻してござれ。』
『何故《なぜ》?』
『いやサ、詳しく話さねえば解らねえが、……實はなす。』
と穩かな調子になつて、『今日何も知らねえで役場さ來てみたのす。そすると種市助役が、一寸別室で呼ぶだハンテ、何だと思つて見だば先生の一件さ。昨日逢つた時、明日辭表を出すつてゐだつけが、何しろ村教育も漸々《やう/\》發展の緒に就いた許りの時だのに、千早先生に罷められては誠に困る。それがと言つて今は村長も留守で、正式に留任勸告をするにも都合が惡い。何れ二三日中には村長も歸るし、七日には村會も開かれるのだから、兎も角もそれまでは是非待つて貰ひたいと言ふのです。それで畢竟《つまり》は種市助役の代理になつて、今俺ア飛んで來たどごろす。解つたすか?』
『解るには解つたが、……奈何も御苦勞でした。』
『御苦勞も糞も無《ね》えが、なす、先生、然う言ふ譯だハンテ、何卒《どうか》一先づ戻して貰つてござれ。』
 戻して貰へ、といふ、その「貰へ」といふ語が矜持心《ほこり》の強い健の耳に
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