べアがな?』と、渠の母親――背中の方が頭より高い程腰の曲つた、極く小柄な渠の母親は、時々心配相に恁う言つた。
『あゝ、行くさ。』と、其度渠は恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》返事をしてゐた。
『何處さ?』
『東京。』
東京へ行く! 行つて奈何する? 渠は以前の經驗で、多少は其名を成してゐても、詩では到底生活されぬ事を知つてゐた。且つは又、此頃の健には些とも作詩の興がなかつた。
小説を書かう、といふ希望は、大分長い間健の胸にあつた。初めて書いてみたのは、去年の夏、もう暑中休暇に間のない頃であつた。『面影』といふのがそれで、晝は學校に出ながら、四日續け樣に徹夜して百四十何枚を書き了へると、渠はそれを東京の知人に送つた。十二三日經つて、原稿はその儘歸つて來た。また別の人に送つて、また歸つて來た。三度目に送る時は、四錢の送料はあつたけれども、添へてやる手紙の郵税が無かつた。健は、何十通の古手紙を出してみて、漸々一枚、消印の逸れてゐる郵劵を見つけ出した。そしてそれを貼つて送つた。或る雨の降る日であつた。妻の敏子は、到頭金にならなかつた原稿の、包紙の雨に濡れたのを持つて、渠の居間にしてゐる穢《むさくる》しい二階に上つて來た。
『また歸つて來たのか? アハヽヽヽ。』と渠は笑つた。そして、その儘本箱の中に投げ込んで、二度と出して見ようともしなかつた。
何時の間にか、渠は自信といふものを失つてゐた。然しそれは、渠自身も、周圍の人も氣が附かなかつた。
そして、前夜、短い手紙でも書く樣に、何氣なくスラスラと解職願を書きながらも、學校を罷めて奈何するといふ決心はなかつたのだ。
健は例《いつも》の樣に亭乎《すらり》とした體を少し反身《そりみ》に、確乎《しつかり》した歩調で歩いて、行き合ふ兒女《こども》等の會釋に微笑みながらも、始終思慮深い目附をして、
『罷めても食へぬし、罷めなくても食へぬ……』と、その事許り思つてゐた。
家へ入ると、通し庭の壁際に据ゑた小形の竈の前に小く蹲《しやが》んで、干菜でも煮るらしく、鍋の下を焚いてゐた母親が、『歸《けえ》つたか。お腹《なか》が減《へ》つたべアな?』と、強ひて作つた樣な笑顏を見せた。今が今まで我家の將來でも考へて、胸が塞つてゐたのであらう。
縞目も見えぬ洗ひ晒しの双子の筒袖の、袖口の擦り切れたのを着てゐて、白髮交りの頭に冠つた淺黄の手拭の上には、白く灰がかゝつてゐた。
『然うでもない。』と言つて、渠は足駄を脱いだ。上框《あがりがまち》には妻の敏子が、垢着いた木綿物の上に女兒を負つて、頭にかゝるほつれ毛を氣にしながら、ランプの火屋《ほや》を研いてゐた。
『今夜は客があるぞ、屹度。』
『誰方?』
それには答へないで、
『あゝ、今日は急しかつた。』と言ひながら、健は勢ひよくドン/\梯子を上つて行つた。[#地から1字上げ](その一、終)
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(予が今までに書いたものは、自分でも忘れたい、人にも忘れて貰ひたい。そして、予は今、予にとつての新らしい覺悟を以てこの長篇を書き出して見た。他日になつたら、また、この作をも忘れたく、忘れて貰ひたくなる時があるかも知れぬ。――啄木)
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底本:「石川啄木作品集 第三巻」昭和出版社
1970(昭和45)年11月20日発行
入力:Nana ohbe
校正:林 幸雄
2003年10月23日作成
青空文庫ファイル:
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