、五年振に此盛岡には帰つて来たのである。新山堂と呼ばるる稲荷神社の直《すぐ》背後《うしろ》の、母とは二歳《ふたつ》違ひの姉なる伯母の家に車の轅《ながえ》を下させて、出迎へた、五年前に比して別に老の見えぬ伯母に、『マア、浩《かう》さんの大きくなつた事!』と云はれて、新調の背広姿を見上げ見下しされたのは、実に一昨日《をとつひ》の秋風すずろに蒼古の市に吹き渡る穏やかな黄昏時《たそがれどき》であつた。


 遠く岩手、姫神、南昌《なんしやう》、早池峰《はやちね》の四峯を繞らして、近くは、月に名のある鑢山《たたらやま》、黄牛《あめうし》の背に似た岩山、杉の木立の色鮮かな愛宕山を控へ、河鹿鳴くなる中津川の浅瀬に跨《またが》り、水音|緩《ゆる》き北上の流に臨み、貞任《さだたう》の昔忍ばるる夕顔瀬橋、青銅の擬宝珠の古色|滴《したた》る許りなる上《かみ》中《なか》の二橋、杉土堤《すぎどて》の夕暮紅の如き明治橋の眺めもよく、若しそれ市の中央に巍然《ぎぜん》として立つ不来方城に登つて瞰下《みおろ》せば、高き低き茅葺《ちがや》柾葺《まさがや》の屋根々々が、茂れる樹々の葉蔭に立ち並んで見える此盛岡は、実に誰が見
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