様な感じがする。無限無際の生命ある『人間』に、三千年位の堕落は何でもないではないか。加之《しかのみならず》、較々《やや》完全に近かつた雅典の人間より、遙かに完全に遠《とほざ》かつた今の我々の方が、却つて/\大なる希望を持ち得るではないか。……斯く、真理よりも真理を希求する心、完全よりも完全に対する希望を尊しとする自分が、夜の盛岡の静けさ、雨の盛岡の淋しさ、秋の盛岡の静けさ寂しさは愛するけれども、奈何《どう》して此|三《みつ》が一緒になつて三足《さんぞく》揃つた完全な鍋、重くて黒くて冷たくて堅い雨ふる秋の夜[#「雨ふる秋の夜」に傍点]といふ大きい鍋を頭から被る辛さ切なさを忍ぶことが出来やう。雨と夜と秋との盛岡が、何故殊更に自分の気に入るかは、自分の知つた限りでない。多分、最近三十幾年間の此市の運命が、乃ち雨と夜と秋との運命であつた為めでがなあらう。
 昨日は、朝まだきから降り初めた秋雨が、午後の三時頃まで降り続いた。長火鉢を中に相対して、『新山堂の伯母さん』と前夜の続きの長物語――雨の糸の如くはてしない物語をした。自分の父や母や光ちやん(妹)の事、伯母さんの四人の娘の事、八歳で死んだ源坊
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