は不来方城|畔《はん》の鐘楼から、幾百年来同じ鯨音《おと》を陸奥《みちのく》の天《そら》に響かせて居る巨鐘の声である。それが精確に十二の数を撞き終ると、今迄あるかなきかに聞えて居た市民三万の活動の響が、礑《はた》と許り止んだ。『盛岡』が今《いま》今日の昼飯を喰ふところである。
『オヤマア私とした事が、……御飯の仕度まで忘れて了つて、……』
といつて、伯母さんはアタフタと立つた。そして自分に云つた、
『浩《かう》さん、豆腐屋が来なかつたやうだつたネ。』
 此伯母さんの一挙一動が悉く雨の盛岡に調和して居る。
 朝行つた時には未だ蓋が明かなかつたので食後改めて程近い銭湯へ行つた。大きい蛇目傘をさして、高い足駄を穿いて、街へ出ると、矢張自分と同じく、大きい蛇目傘、高い足駄の男女が歩いて居る。皆無言で、そして、泥汁《どろ》を撥ね上げぬ様に、極めて静々と、一足毎に気を配つて歩いて居るのだ。両側の屋根の低い家には、時に十何年前の同窓であつた男の見える事がある。それは大抵大工か鍛冶屋か荒物屋かである。又、小娘の時に見覚えて置いた女の、今は髪の結ひ方に気をつける姉さんになつたのが、其処此処の門口に立つて、呆然《ぼんやり》往来を眺めて居る事もある。此等旧知の人は、決して先方から話かける事なく、目礼さへ為《す》る事がない。これは、自分には一層雨の盛岡の趣味を発揮して居る如く感ぜられて、仲々奥床しいのである。総じて盛岡は、其人間、其言語、一切皆|克《よ》く雨に適して居る。人あり、来つて盛岡の街々を彷徨《さまよ》ふこと半日ならば、必ず何街《どこ》かの理髪床《りはつどこ》の前に、銀杏髷《いちやうまげ》に結つた丸顔の十七八が立つて居て、そして、中なる剃手《そりて》と次の如き会話を交ふるを聞くであらう。
 女『アノナハーン、アェヅダケァガナハーン、昨日《キノナ》スアレー、彼《ア》ノ人《シタ》アナーハン。』
 男『フンフン、御前《おめあ》ハンモ行《エツ》タケスカ。フン、真《ホン》ニソダチナハン。アレガラナハン、家《エ》サ来ルヅギモ面白《オモシエ》ガタンチエ。ホリヤ/\、大変《テエヘン》ダタアンステァ。』
 此奇怪なる二人の問答には、少くとも三幕物に書き下すに足る演劇的の事実が含まれて居る。若し一度も盛岡の土を踏んだことのない人で、此会話の深い/\意味と、其誠に優美な調子とを聞き分くる事が出来るならば
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