を豫知せりしや否や。……然らば乃ち、春秋いく度か去來して世紀また新たなるの日、汝が再び昨の運命を繰返して蔦蘿雜草《てうらざつさう》の底に埋もるるなきを誰か今にして保し得んや。……噫已んぬる哉。』などとやつてのける種《たね》になるのだが、自分は毛頭|恁《こん》な感じは起さなんだ。何故《なぜ》といふまでもない。漸々《やう/\》開園式が濟んだ許りの、文明的な、整然《きちん》とした、別に俗氣のない、そして依然《やはり》昔と同じ美しい遠景を備へた此新公園が、少からず自分の氣に入つたからである。可愛い兒供《こども》の生れた時、この兒も或は年を老《と》つてから悲慘《みじめ》な死樣《しにざま》をしないとも限らないから、いつそ今斯うスヤ/\と眠つてる間《うち》に殺した方が可《いゝ》かも知れぬ、などと考へるのは、實に天下無類の不所存と云はねばならぬ。だから自分は、此公園に上《のぼ》つた時、不圖《ふと》次の樣な考を起した。これは、人の前で、殊に盛岡人の前では、些《ちと》憚つて然るべき筋の考であるのだが、茲は何も本氣で云ふのでなくて、唯|序《ついで》に白状するのだから、別段|差閊《さしつかへ》もあるまい。考といふと恁《かう》だ。此公園を公園でなくて、ツマリ自分のものにして、人の入《はひ》られぬ樣に厚い枳殼垣《からたちがき》を繞らして、本丸の跡には、希臘か何處かの昔の城を眞似た大理石の家を建てて、そして、自分は雪より白い髮をドッサリと肩に垂らして、露西亞の百姓の樣な服を着て、唯一人其家に住む。終日讀書をする。霽れた夜には大砲の樣な望遠鏡で星の世界を研究する。曇天か或は雨の夜には、空中飛行船の發明に苦心する。空腹を感じた時は、電話で川岸の洋食店から上等の料理を取寄せる。尤も此給仕人は普通《たゞ》の奴では面白くない。顏は奈何《どう》でも構はぬが、十八歳で姿の好い女、曙色か淺緑の簡單な洋服を着て、面紗《ヴェール》をかけて、音のしない樣に綿を厚く入れた足袋を穿いて、始終無言でなければならぬ。掃除するのは面倒だから、可成《なるべく》散らかさない樣に氣を附ける。そして、一年に一度、昔羅馬皇帝が凱旋式に用ゐた輦《くるま》――それに擬《ま》ねて『即興詩人』のアヌンチャタが乘※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]した輦《くるま》、に擬《ま》ねた輦に乘つて、市中を隈なく※[#「えんにょう+囘」、第4
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