て唯無性に心悲《うらがな》しくなつた。暫らく其材木の端《はし》に腰掛けて、昔の事を懷うて見ようかとも思つたが、イヤ待て恁《こん》な晝日中に、宛然《さながら》人生の横町と謂《い》つた樣な此處を彷徨《うろつ》いて何か明處《あかるみ》で考へられぬ事を考へて居るのではないかと、通りがかりの巡査に怪まれでもしては、一代の不覺と思ひ返へして止《や》めた。然し若し此時、かの藻外と二人であつたなら、屹度|外見《みえ》を憚《はばか》らずに何か詩的な立※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]《たちまはり》を始めたに違ひない。兎角人間は孤獨の時に心弱いものである。此變遷は、自分には毫も難有《ありがた》くない變遷である。恁な變樣《かはりやう》をする位なら、寧ろ依然《やはり》『眠れる都會』であつて呉れた方が、自分並びに『美しい追憶の都』のために祝すべきであるのだ。以前《もと》平屋造《ひらやづくり》で、一寸見には妾の八人も置く富豪の御本宅かと思はれた縣廳は、東京の某省に似せて建てたとかで、今は大層立派な二階立の洋館になつて居るし、盛岡の銀座通と誰かの冷評《ひやか》した肴町呉服町には、一度神田の小川町で見た事のある樣な本屋や文房具店も出來た。就中破天荒な變化と云ふべきは、電燈會社の建つた事、女學生の靴を穿く樣になつた事、中津川に臨んで洋食店《レストウラント》の出來た事、荒れ果てた不來方城《こずかたじやう》が、幾百年來の蔦衣《つたごろも》を脱ぎ捨てて、岩手公園とハイカラ化した事である。禿頭に産毛《うぶげ》が生えた樣な此舊城の變方などは、自分がモ少し文學的な男であると、『噫《あゝ》、汝不來方の城よ※[#感嘆符三つ、39−上−17] 汝は今これ、漸くに覺醒し來れる盛岡三萬の市民を下※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]《かかん》しつつ、……文明の儀表《ぎへう》なり。昨の汝が松風名月の怨《うらみ》長《とこし》なへに盡きず……なりしを知るものにして、今來つて此盛裝せる汝に對するあらば、誰かまた我と共に跪《ひざま》づいて、汝を讃するの辭なきに苦しまざるものあらむ。疑ひもなく汝はこれ文明の仙境なり、新時代の樂園なり。……然れども思へ、――我と共に此一片の石に踞して深く/\思へ、昨日杖を此城頭に曳いて、鐘聲を截せ來る千古一色の暮風に立ち、涙を萋々《せい/\》たる草裡に落したりし者、よくこの今日ある
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