並に喰つてはゐるが、生來の氣弱者、經驗のない一人旅に、今朝から七里餘の知らない路を辿つたので、心の膸《しん》までも疲れ切つてゐた。三日、四日と少しは慣れたものゝ、腹に一物も無くなつては、「考へて見れば目的の無い旅だ!」と言つたやうな、朦乎《ぼんやり》した悲哀が、粘々《ねば/\》した唾と共に湧いた。それで、村の入口に入るや否や、吠えかゝる痩犬を半分無意識に怕い顏をして睨み乍ら、脹《ふや》けた樣な頭を搾り、あらん限りの智慧と勇氣を集めて、「兎も角も、宿を見附る事《こつ》た。」と決心した。そして、口が自からポカンと開いたも心附かず、臆病らしい眼を怯々然《きよろ/\》と兩側の家に配つて、到頭、村も端れ近くなつた邊で、三國屋といふ木賃宿の招牌《かんばん》を見附けた時は、渠には既う、現世に何の希望も無かつた。
 翌朝目を覺ました時は、合宿を頼まれた二人――六十位の、頭の禿げた、鼻の赤い、不安な眼附をした老爺と其娘だといふ二十四五の、旅疲勞《たびつかれ》の故《せゐ》か張合のない淋しい顏の、其癖何處か小意氣に見える女。(何處から來て何處へ行くのか知らないが、路銀の補助《たし》に賣つて歩くといふ安筆を、松太郎も勸められて一本買つた。)――その二人は既《も》う發《た》つて了つて穢ない室の、補布《つぎ》だらけな五六の蚊帳の隅つこに、脚を一本蚊帳の外に投出して、仰《あふの》けに臥てゐた。と、渠は、前夜同じ蚊帳に寢た女の寢息や寢返りの氣勢《けはい》に酷《ひど》く弱い頭を惱まされて、夜更まで寢附かれなかつた事も忘れて、慌てゝ枕の下の財布を取出して見た。變りが無い。すると又、突然褌一つで蚊帳の外に跳び出したが、自分の荷物は寢る時の儘で壁側にある。ホッと安心したが、猶念の爲に内部を調べて見ると、矢張變りが無い。「フフヽヽ」と笑つて見た。
「さて、何う爲ようかな?」恁う渠は、額に八の字を寄せ、夥しく蚊に喰はれた脚や、蚤に攻められて一面に紅らんだ横腹《よこつぱら》を自暴《やけ》に掻き乍ら、考へ出した。昨日着いた時から、火傷《やけど》か何かで左手の指が皆内側に曲つた宿の嬶の待遇振《もてなしぶり》が、案外親切だつたもんだから、松太郎は理由もなく此村が氣に入つて、一つ此地《ここ》で傳道して見ようかと思つてゐたのだ。
「さて、何う爲ようかな?」恁う何回も何回も自分に問うて見て、仲々決心が附かない。「奈何《どう
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