どう》して飯を食ふだらう? と思ふと、何がなしに理由のない憤怒《いかり》が心を突く。
『ええ此|嘘吐者《うそつき》、天理も糞も……』
 これだけを、お由は苦し気に怒鳴つた。そして裏口から出て行つた。
 渠は、ガバと跳び起きた。そして後をも見ずに次の間に駆け込んで、布団を引出すより早く、其中に潜《もぐ》り込んだ。
 間もなくお由は帰つて来た。眠つてゐた筈の松太郎が其処に見えない。両手を腹に支《か》つて、顔を強く顰《しか》めて、お由は棒の様に突立つたが、出掛《でがけ》に言つた事を松太郎に聞かれたと思ふと、言ふ許りなき怒気が肉体の苦痛《くるしみ》と共に発した。
『畜生奴!』と先づ胴間声が突走つた。『畜生奴! 狐! 嘘吐者《うそつき》! 天理坊主! よく聴け、コレア、俺ア赤痢に取付かれたぞ。畜生奴! 嘘吐者! 畜生奴! ウン……』
 ドタリとお由が倒《のめ》つた音。
 寝床の中の松太郎は、手足を動かすことを忘れでもした様に、ビクとも動かぬ。あらゆる手頼《たより》の綱が一度に切れて了つた様で、暗い暗い、深い深い、底の知れぬ穴の中へ、独ぼつちの魂が石塊《いしころ》の如く落ちてゆく、落ちてゆく。そし
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