ろの努力に従うべきである。
我々日本人が、最近四十年間の新らしい経験から惹《ひ》き起されたところの反省は、あらゆる意味に於て、まだ浅い。
もしも又、私が此処《ここ》に指摘したような性急な結論乃至告白を口にし、筆にしながら、一方に於て自分の生活を改善するところの何等かの努力を営み――仮令《たとえ》ば、頽廃的《デカダン》という事を口に讃美しながら、自分の脳神経の不健康を患《うれ》うて鼻の療治をし、夫婦関係が無意義であると言いながら家庭の事情を緩和すべき或る努力をし、そしてその矛盾に近代人の悲しみ、苦しみ、乃至絶望があるとしている人があるならば、その人の場合に於て「近代的」という事は虚偽である。我々は、そういう人も何時かはその二重の生活を統一し、徹底しようとする要求に出会うものと信じて、何処《どこ》までも将来の日本人の生活についての信念を力強く把持《はじ》して行くべきであると思う。
底本:「石川啄木集(上)」新潮文庫、新潮社
1950(昭和25)年5月10日発行
1970(昭和45)年6月15日30刷改版
1991(平成3)年3月5日58刷
入力:鈴木厚司
校正:鈴木厚司
1999年5月16日公開
2005年9月25日修正
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