うか。

 すでに文學其物が實人生に對して間接的なものであるとする。譬へば手淫の如きものであるとする。そして凡ての文學者は、實行の能力、乃至は機會、乃至は資力無き計畫者の樣なものであるとする。
 男といふ男は女を欲する。あらゆる計畫者は、自ら其の計畫したところの事業を經營したいと思ふ。それが普通ではなからうか。
(假令世には、かの異常な手段に依つてのみ自己の欲望を充たしてゐる者が、それに慣れて了つて、最早正當な方法の前には何の感情をも起さなくなる樣な例はあるにしても。)

 故人二葉亭氏は、身生れて文學者でありながら、人から文學者と言はれる事を嫌つた。坪内博士は嘗てそれを、現在日本に於て、男子の一生を託するに足る程に文學といふものの價値なり勢力なりが認められてゐない爲ではなからうか、といふ樣に言はれた事があると記憶する。成程さうでもあらうと私は思つた。然し唯それだけでは、あの革命的色彩に富んだ文學者の胸中を了解するに、何となく不十分に思はれて爲方《しかた》がなかつた。
 又或時、生前其の人に親しんでゐた人の一人が、何事によらず自分の爲た事に就いて周圍から反響を聞く時の滿足な心持といふ事によつて、彼の獨歩氏が文學以外の色々の事業に野心を抱いてゐた理由を忖度《そんたく》しようとした事があつた。同じ樣な不滿足が、それを讀んだ時にも私の心にあつた。
 又、これは餘り勝手な推量に過ぎぬかも知れぬけれども、内田魯庵氏は嘗て文學を利器として實社會に肉薄を試みた事のある人だ。其の生血の滴《したゝ》る樣な作者の昂奮した野心は、あの『社會百面相』といふ奇妙な名の一册に書き止められてゐる。その本の名も今は大方忘られて了つた。そして内田氏は、それ以後もう再び創作の筆を執らうとしなかつた。其處にも何か我々の考へねばならぬ事があるのではなからうか。
 トルストイといふ人と内田氏とを并べて考へて見る事は、此際面白い對照の一つでなければならない。あの偉大なる露西亞人に比べると、内田氏には如何にも日本人らしい、性急な、そして思切りのよいと言つた風のところが見える。

     ○

 自分の机の上に、一つ濟めば又一つといふ風に、後から後からと爲事の集つて來る時ほど、私の心臟の愉快に鼓動してゐる時はない。
 それが餘り立込んで來ると、時として少し頭が茫乎《ぼう》として來る事がある。『こんな事で逆上せて
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