。――二三日前に、田舍で銀行業をやつてゐる伯父が出て來て、お前は今何をしてゐると言ふ。困つて了つて、何も爲《し》ないでゐると言ふと、學校を出てから今迄何も爲ないでゐた筈がない、何んな事でも可いから隱さずに言つて見ろと言つた。爲方が無いから、自分の書いた物の載つてゐる雜誌を出して見せると、『お前はこんな事もやるのか。然しこれはこれだが、何か別に本當の仕事があるだらう。』と言つた。――
『あんな種類の人間に逢つちや耐らないねえ。僕は實際弱つちやつた。何とも返事の爲やうが無いんだもの。』と言つて、其友人は聲高く笑つた。
 私も笑つた。所謂俗人と文學者との間の間隔といふ事が其の時二人の心にあつた。
 同じ樣な經驗を、嘗て、私も幾度となく積んだ。然し私は、自分自身の事に就いては笑ふ事が出來なかつた。それを人に言ふ事も好まなかつた。自分の爲事《しごと》を人の前に言へぬといふ事は、私には憤懣と、それよりも多くの羞恥の念とを與へた。
 三年經ち、五年經つた。
 何時しか私は、十七八の頃にはそれと聞くだけでも懷かしかつた、詩人文學者にならうとしてゐる、自分よりも年の若い人達に對して、すつかり同情を失つて了つた。會つて見て其の人の爲人《ひとゝなり》を知り、其の人の文學的素質に就いて考へる前に、先づ憐愍と輕侮と、時としては嫌惡を注がねばならぬ樣になつた。殊に、地方にゐて何の爲事も無くぶらぶらしてゐながら詩を作つたり歌を作つたりして、各自他人からは兎ても想像もつかぬ樣な自矜を持つてゐる、そして煮え切らぬ謎の樣な手紙を書く人達の事を考へると、大きな穴を掘つて、一緒に埋めて了つたら、何んなに此の世の中が薩張《さつぱり》するだらうとまで思ふ事がある樣になつた。
 實社會と文學的生活との間に置かれた間隔をその儘にして笑つて置かうとするには、私は餘りに「俗人」であつた。――若しも私の文學的努力(と言ひ得るならば)が、今迄に何等かの効果を私に齎《もたら》してゐたならば、多分私も斯うは成らなかつたかも知れない。それは自分でも悲い心を以て思ひ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]す事が無いでもない。然し文學的生活に對する空虚の感は、果して唯文壇の劣敗者のみの問題に過ぎないのだらうか。

 此處では文學其物に就いて言つてるのではない。
 文學と現實の生活とを近ける運動は、此の數年の間我々の眼の前で花々し
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