道路が日本一であってもらいたい。
北海道人、特に小樽人の特色は何であるかと問われたなら、予は躊躇《ちゅうちょ》もなく答える。曰《いわ》く、執着心のないことだと。執着心がないからして都府としての公共的な事業が発達しないとケナス人もあるが、予は、この一事ならずんばさらに他の一事、この地にてなし能《あた》わずんばさらにかの地に行くというような、いわば天下を家として随所に青山あるを信ずる北海人の気魄《きはく》を、双手《もろて》を挙げて讃美する者である。自由と活動と、この二つさえあれば、べつに刺身や焼肴《やきざかな》を注文しなくとも飯は食えるのだ。
予はあくまでも風のごとき漂泊者である。天下の流浪人である。小樽人とともに朝から晩まで突貫し、小樽人とともに根限りの活動をすることは、足の弱い予にとうていできぬことである。予はただこの自由と活動の小樽に来て、目に強烈な活動の海の色を見、耳に壮快なる活動の進行曲《マーチ》を聞いて、心のままに筆を動かせば満足なのである。世界貿易の中心点が太平洋に移ってきて、かつて戈《ほこ》を交えた日露両国の商業的関係が、日本海を斜めに小樽対ウラジオの一線上に集注し来ら
前へ
次へ
全9ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング