話は次の様なことであつた。――今度小樽に新らしい新聞が出来る。出資者はY――氏といふ名の有る事業家で、創業費は二万円、維持費の三万円を年に一万宛注込んで、三年後に独立経済にする計画である。そして、社長には前代議士で道会に幅を利かしてゐるS――氏がなるといふので。
『主筆も定つてる。』と友は言葉を亜《つ》いだ。『先《せん》にH――新聞にゐた山岡といふ人で、僕も二三度面識がある。その人が今編輯局編成の任を帯びて札幌に来てゐる。実は僕にも間接に話があつたので、今日行つて打突《ぶつか》つて見て来たのだ。』
『成程。段々面白くなつて来たぞ。』
『無論その時君の話もした。』と、熱心な調子で言つた。暗い町を肩を並べて歩き乍ら、稀なる往来《ゆきき》の人に遠慮を為《し》い/\、密《ひそ》めた声も時々高くなる。後藤君は暗い中で妙な手振をし乍ら、『僕の事はマア不得要領な挨拶をしたが、君の事は君さへ承知すれば直ぐ決《きま》る位に話を進めて来た。無論現在よりは条件も可ささうだ。それに君は家族が小樽に居るんだから都合が可いだらうと思ふんだ。』
『それア先《ま》アさうだ。が、無論君も行くんだらう?』
『其処だテ。奈何《どう》も其処だテ――』
『何が?』
『主筆は十月一日に第一回編輯会議を開く迄に顔触れを揃へる責任を受負つたんで、大分|焦心《あせ》つてる様だがね。』
『十月一日! あと九日しかない。』
『然うだ。――実はね、』と言つて、後藤君は急に声を高くした。『僕も大いに心を動かしてる。大いに動かしてゐる。』
 然うして二度許り右の拳を以て空気を切つた。
『それなら可いぢやないか?』と私も声を高めた。
『奈何《どう》せ天下の浪人共だ。何も顧慮する処はない。』
『其処だ。君はまだ若い。僕はも少し深く考へて見たいんだ。』
『奈何《どう》考へる?』
『詰りね、単に条件が可《い》いから行くといふだけでなくね――それは無論第一の問題だが――多少君、我々の理想を少しでも実行するに都合が好い――と言つた様な点を見付けたいんだ。』
[#地から一字上げ]〔生前未発表・明治四十一年八月稿〕



底本:「石川啄木全集 第三巻 小説」筑摩書房
   1978(昭和53)年10月25日初版第1刷発行
   1993(平成5年)年5月20日初版第7刷発行
※底本解説で、小田切秀雄が、1908(明治41)年8月と執筆時期を
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