商人《あきびと》。
靴《くつ》、鞄《かばん》、帽子、革帯《かはおび》、
ところせく列《なら》べる店に
坐り居て、客のくる毎《ごと》、
尽日《ひねもす》や、はた、電燈の
青く照る夜も更《ふ》くるまで、
てらてらに禿《は》げし頭を
礼《ゐや》あつく千度《ちたび》下げつつ、
なれたれば、いと滑《なめ》らかに
数数の世辞をならべぬ。
年老いし彼はあき人。
かちかちと生命《いのち》を刻む
ボンボンの下の帳場や、
簿記台《ぼきだい》の上に低《た》れたる
其《その》頭、いと面白《おもしろ》し。
その頭低《た》るる度毎《たびごと》、
彼が日は短くなりつ、
年こそは重みゆきけれ。
かくて、見よ、髪の一条《ひとすぢ》
落ちつ、また、二条、三条、
いつとなく抜けたり、遂《つひ》に
面白し、禿げたる頭。
その頭、禿げゆくままに、
白壁の土蔵《どざう》の二階、
黄金の宝の山は
(目もはゆし、暗《やみ》の中にも。)
積まれたり、いと堆《うづた》かく。
埃及《エジプト》の昔の王は
わが墓の大《だい》金字塔《ピラミド》を
つくるとて、ニルの砂原、
十万の黒兵者《くろつはもの》を
二十年《はたとせ》も役《えき》せしといふ。
年老いしこの商人《あきびと》も
近つ代の栄の王者、
幾人の小僧つかひて、
人の見ぬ土蔵の中に
きづきたり、宝の山を。――
これこそは、げに、目もはゆき
新世《あらたよ》の金字塔《ピラミド》ならし、
霊魂《たましひ》の墓の標《しるし》の。
辻
老いたるも、或は、若きも、
幾十人、男女や、
東より、はたや、西より、
坂の上、坂の下より、
おのがじし、いと急《せは》しげに
此処《ここ》過ぐる。
今わが立つは、
海を見る広き巷《ちまた》の
四の辻。――四の角なる
家は皆いと厳《いか》めしし。
銀行と、領事の館《やかた》、
新聞社、残る一つは、
人の罪嗅《か》ぎて行くなる
黒犬を飼へる警察。
此処過ぐる人は、見よ、皆、
空高き日をも仰《あふ》がず、
船多き海も眺めず、
ただ、人の作れる路《みち》を、
人の住む家を見つつぞ、
人とこそ群れて行くなれ。
白髯《はくぜん》の翁《おきな》も、はたや、
絹傘《きぬがさ》の若き少女《をとめ》も、
少年も、また、靴鳴らし
煙草《たばこ》吹く海産商も、
丈《たけ》高き紳士も、孫を
背に負へる痩《や》せし媼《おうな》も、
酒肥《さかぶと》り、いとそりかへる
商人《あきびと》も、物乞ふ児《こ》等も、
口笛の若き給仕も、
家持たぬ憂《う》き人人も。
せはしげに過ぐるものかな。
広き辻、人は多けど、
相知れる人や無からむ。
並行けど、はた、相逢《あ》へど、
人は皆、そしらぬ身振、
おのがじし、おのが道をぞ
急ぐなれ、おのもおのもに。
心なき林の木木も
相凭《よ》りて枝こそ交《かは》せ、
年毎に落ちて死ぬなる
木の葉さへ、朝風吹けば、
朝さやぎ、夕風吹けば、
夕語りするなるものを、
人の世は疎《まば》らの林、
人の世は人なき砂漠。
ああ、我も、わが行くみちの
今日ひと日、語る伴侶《とも》なく、
この辻を、今、かく行くと、
思ひつつ、歩み移せば、
けたたまし戸の音ひびき、
右手なる新聞社より
駆け出でし男幾人《いくたり》、
腰の鈴高く鳴らして
駆け去りぬ、四の角より
四の路おのも、おのもに。
今五月、霽《は》れたるひと日、
日の光曇らず、海に
牙《きば》鳴らす浪もなけれど、
急がしき人の国には
何事か起りにけらし。
無題
札幌《さつぽろ》は一昨日《オトツヒ》以来
ひき続きいと天気よし。
夜に入りて冷たき風の
そよ吹けば少し曇《くも》れど、
秋の昼、日はほかほかと
丈《タケ》ひくき障子《しやうじ》を照し、
寝ころびて物を思へば、
我が頭ボーッとする程
心地よし、流離《りうり》の人も。
おもしろき君の手紙は
昨日見ぬ。うれしかりしな。
うれしさにほくそ笑みして
読み了《を》へし、我が睫毛《マツゲ》には、
何しかも露の宿りき。
生肌《ナマハダ》の木の香くゆれる
函館よ、いともなつかし。
木をけづる木片大工《コツパダイク》も
おもしろき恋やするらめ。
新らしく立つ家々に
将来の恋人共が
母《カア》ちゃんに甘へてや居む。
はたや又、我がなつかしき
白村に翡翠《ひすゐ》白鯨
我が事を語りてあらむ。
なつかしき我が武《ター》ちゃんよ、――
今様《イマヤウ》のハイカラの名は
敬慕するかはせみの君、
外国《とつくに》のラリルレ語《ことば》
酔漢《ヱヒドレ》の語でいへば
m...m...my dear brethren!――
君が文読み、くり返し、
我が心青柳町の
裏長屋、十八番地
ムの八にかへりにけりな。
世の中はあるがままにて
怎《どう》かなる。心配はなし。
我たとへ、柳に南瓜《かぼちや》
なった如、ぶらりぶらりと
貧乏の重い袋を
痩腰に下げて歩けど、
本職の詩人、はた又
兼職の校正係、
どうかなる世の中なれば
必ずや怎かなるべし。
見よや今、「小樽日々《にちにち》」
「タイムス」は南瓜の如き
蔓《つる》の手を我にのばしぬ。
来むとする神無月《かみなづき》には、
ぶらぶらの南瓜の性《さが》の
校正子、記者に経上《ヘアガ》り
どちらかへころび行くべし。
一昨日《オトツヒ》はよき日なりけり。
小樽より我が妻せつ子
朝に来て、夕べ帰りぬ。
札幌に貸家なけれど、
親切な宿の主婦《カミ》さん、
同室の一少年と
猫の糞《ふん》他室へ移し
この室を我らのために
貸すべしと申出でたり。
それよしと裁可したれば、
明後日妻は京子と
鍋《なべ》、蒲団《ふとん》、鉄瓶《てつびん》、茶盆《ちやぼん》、
携《たづさ》へて再び来り、
六畳のこの一室に
新家庭作り上ぐべし。
願くは心休めよ。
その節に、我来《き》し後《のち》の
君達の好意、残らず
せつ子より聞き候ひぬ。
焼跡の丸井の坂を
荷車にぶらさがりつつ、
(ここに又南瓜こそあれ、)
停車場に急ぎゆきけん
君達の姿思ひて
ふき出しぬ。又其心
打忍び、涙流しぬ。
日高なるアイヌの君の
行先ぞ気にこそかかれ。
ひょろひょろの夷希薇《いきび》の君に
事問へど更にわからず。
四日前に出しやりたる
我が手紙、未だもどらず
返事来ず。今の所は
一向に五里霧中《ごりむちゆう》なり。
アノ人の事にしあれば、
瓢然《へうぜん》と鳥の如くに
何処へか翔《かけ》りゆきけめ。
大《タイ》したる事のなからむ。
とはいへど、どうも何だか
気にかかり、たより待たるる。
北の方旭川なる
丈高き見習士官
遠からず演習のため
札幌に来るといふなる
たより来ぬ。豚鍋つつき
語らむと、これも待たるる。
待たるるはこれのみならず、
願くは兄弟達よ
手紙呉《く》れ。ハガキでもよし。
函館のたよりなき日は
何となく唯我一人
荒れし野に追放されし
思ひして、心クサクサ、
訳《わけ》もなく我がかたはらの、
猫の糞癪《しやく》にぞさわれ。
猫の糞可哀相《かはいさう》なり、
鼻下の髯、二分《ブ》程のびて
物いへば、いつも滅茶苦茶、
今も猶《なほ》無官の大夫、
実際は可哀相だよ。
札幌は静けき都、
秋の日のいと温かに
虻《あぶ》の声おとづれ来なる
南窓《ミナミマド》、うつらうつらの
我が心、ふと浮気《ウハキ》出《ダ》し、
筆とりて書きたる文《フミ》は
見よやこの五七の調よ、
其昔、髯のホメロス
イリヤドを書きし如くに
すらすらと書きこそしたれ。
札幌は静けき都、夢に来よかし。
反歌
白村が第二の愛児《マナゴ》笑むらむかはた
泣くらむか聞かまほしくも。
なつかしき我が兄弟《オトドヒ》よ我がために
文かけ、よしや頭掻《か》かずも。
北の子は独逸《ドイツ》語習ふ、いざやいざ
我が正等《タダシラ》よ競駒《クラベゴマ》せむ。
うつらうつら時すぎゆきて隣室の
時計二時うつ、いざ出社せむ。
四十年九月二十三日
札幌にて啄木拝
並木兄 御侍史
無題
一年ばかりの間、いや一と月でも
一週間でも、三日でもいい。
神よ、もしあるなら、ああ、神よ、
私の願ひはこれだけだ。どうか、
身体《からだ》をどこか少しこはしてくれ痛くても
関《かま》はない、どうか病気さしてくれ!
ああ! どうか……
真白な、柔《やは》らかな、そして
身体がフウワリと何処までも――
安心の谷の底までも沈んでゆく様な布団《ふとん》の上に、いや
養老院の古畳の上でもいい、
何も考へずに(そのまま死んでも
惜しくはない)ゆっくりと寝てみたい!
手足を誰か来て盗んで行っても
知らずにゐる程ゆっくり寝てみたい!
どうだらう! その気持は! ああ。
想像するだけでも眠くなるやうだ! 今著《き》てゐる
この著物を――重い、重いこの責任の著物を
脱ぎ棄《す》てて了《しま》ったら(ああ、うっとりする!)
私のこの身体が水素のやうに
ふうわりと軽くなって、
高い高い大空へ飛んでゆくかも知れない――「雲雀《ひばり》だ」
下ではみんながさう言ふかも知れない! ああ!
―――――――――――――――
死だ! 死だ! 私の願ひはこれ
たった一つだ! ああ!
あ、あ、ほんとに殺すのか? 待ってくれ、
ありがたい神様、あ、ちょっと!
ほんの少し、パンを買ふだけだ、五―五―五―銭でもいい!
殺すくらゐのお慈悲《じひ》があるなら!
新らしき都の基礎
やがて世界の戦《いくさ》は来らん!
不死鳥《フエニツクス》の如き空中軍艦が空に群れて、
その下にあらゆる都府が毀《こぼ》たれん!
戦《いくさ》は永く続かん! 人々の半ばは骨となるならん!
然《しか》る後、あはれ、然る後、我等の
『新らしき都』はいづこに建つべきか?
滅びたる歴史の上にか? 思考と愛の上にか? 否、否。
土の上に。然り、土の上に、何の――夫婦と云ふ
定まりも区別もなき空気の中に
果て知れぬ蒼《あを》き、蒼き空の下《もと》に!
夏の街の恐怖
焼けつくやうな夏の日の下に
おびえてぎらつく軌条《レール》の心。
母親の居睡《ねむ》りの膝《ひざ》から辷《す》り下りて、
肥《ふと》った三歳《みつつ》ばかりの男の児が
ちょこちょこと電車線路へ歩いて行く。
八百屋の店には萎《な》えた野菜。
病院の窓の窓掛《まどかけ》は垂《た》れて動かず。
閉《とざ》された幼稚園の鉄の門の下には
耳の長い白犬が寝そべり、
すベて、限りもない明るさの中に
どこともなく、芥子《けし》の花が死落《しにお》ち、
生木《なまき》の棺《ひつぎ》に裂罅《ひび》の入る夏の空気のなやましさ。
病身の氷屋の女房が岡持を持ち、
骨折れた蝙蝠傘《かうもりがさ》をさしかけて門を出れば、
横町の下宿から出て進み来る、
夏の恐怖に物言はぬ脚気《かつけ》患者の葬《はうむ》りの列。
それを見て辻の巡査は出かかった欠呻《あくび》噛《か》みしめ、
白犬は思ふさまのびをして、
塵溜《ごみため》の蔭に行く。
起きるな
西日をうけて熱くなった
埃《ほこり》だらけの窓の硝子《ガラス》よりも
まだ味気ない生命《いのち》がある。
正体もなく考へに疲れきって、
汗を流し、いびきをかいて昼寝してゐる
まだ若い男の口からは黄色い歯が見え、
硝子越しの夏の日が毛脛《けずね》を照し、
その上に蚤《のみ》が這《は》ひあがる。
起きるな、超きるな、日の暮れるまで。
そなたの一生に冷しい静かな夕ぐれの来るまで。
何処かで艶《なまめ》いた女の笑ひ声。
事ありげな春の夕暮
遠い国には戦《いくさ》があり……
海には難破船の上の酒宴《さかもり》……
質屋の店には蒼《あを》ざめた女が立ち、
燈火《あかり》にそむいてはなをかむ。
其処《そこ》を出て来れば、路次の口に
情夫《まぶ》の背を打つ背低い女――
うす暗がりに財布《さいふ》を出す。
何か事ありげな――
春の夕暮の町を圧する
重く淀《よど》んだ空気の不安。
仕事の手につかぬ一日が暮れて、
何に疲れたとも知れぬ疲れがある。
遠い国には沢山の人が死に……
また政庁に推寄《おしよ》せる女壮士の
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