で、躬《みづか》ら田の水見にも廻れば、肥料《こえ》つけの馬の手綱も執る。家にも二人まで下男がゐたし、隣近所の助勢《すけて》も多いのだから、父は普通《あたりまへ》なら囲炉裏の横座に坐つてゐて可いのだけれど、「俺は稼ぐのが何よりの楽《たのしみ》だ。」と言つて、露程も旦那風を吹かせた事がない。
 随つて、工藤様といへば、村の顔役、三軒の士族のうちで、村方から真実《ほんと》に士族扱ひされたのは私の家一軒であつた。敢《あへ》て富有《かねもち》といふではないが、少許《すこし》は貸付もあつた様だし、田地と信用とは、増すとも減る事がない。穀蔵に広い二階|立《だて》の物置小屋、――其|階下《した》が土間になつてゐて、稲扱《いねこき》の日には、二十人近くの男女が口から出放題の戯談《じようだん》やら唄やらで賑つたものだ。庭には小さいながらも池があつて、赤い黒い、尺許りの鯉が十|尾《ぴき》も居た。家の前には、其頃村に唯一つの衡門《かぶきもん》が立つてゐた。叔父の家のは、既《とう》に朽ちて了つたのである。
 母と叔父とは、齢も十《とを》以上違つて居たし、青い面長と扁《ひらた》い赤良顔《あからがほ》、鼻の恰好が稍
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