れて來て、何といふ理由なしに新しい人を望む樣になつた一部の勢力家、――それ自身も多少の野心をもたぬでもない人々が、表面には出さぬけれど自然西山を援ける樣になつて來た。私が大分苦心して集めた材料から、念の爲に作つて見た勢力統計によると、前の代議士選擧に八分を占めて居た大川氏の勢力は、近く二三ケ月[#「月」は底本では脱落]後に來るべき改選期に於て、怎《どう》しても六分、――未知數を味方に加算して、六分五厘位迄に墮《お》ちて居た。大川氏は前には其得點全部を期日間際になつて或る政友に譲つたが、今度は自身で立つ積りで居る。最も、殘餘の反對者と云つても、これと云ふ統率者がある譯で無いから、金次第で怎《どう》でもなるのだが。
 で、「毎日」は、社それ自身の信用が無く、隨つて社員一個々々に於ても、譬へば料理屋へ行つて勘定を月末まで待たせるにしても、餘程巧みに談判しなければ拒《こば》まれると云つた調子で、紙數も唯八百しか出て居なかつたが、それでも能《よ》く續けて行く。「毎日」が先月紙店の拂ひが出來なかつたので、今日から其日々々に一連宛買ふさうだとか、職工が一日《ついたち》になつても給料を拂はれぬので、活字函《ケース》を轉覆《ひつくりかへ》して家へ歸つたさうだとか云ふ噂が、一度や二度でなく私等の耳に入るけれど、それでも一日として新聞を休んだ事がない。唯八百の讀者では、いくら田舍新聞でも維持して行けるものでないのに、不思議な事には、職工の數だつて敢て「日報」より少い事もなく、記者も五人居た所へ、また一人菊池を入れた。私の方は千二百|刷《す》つて居て、外に官衙や銀行會社などの印刷物を一手に引受けてやつて居るので、少し宛積立の出來る月もあると、目の凹んだ謹直家《つゝましや》の事務長が話して居たが。……
 私は、這※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》事情が解ると共に、スッカリ紙面の體裁を變へた。「毎日」の遣《や》り方は、喇叭節《ラッパぶし》を懸賞で募集したり、藝妓評判記を募つたり、頻りに俗受の好い様にと焦慮《あせ》つてるので、初め私も其向うを張らうかと持出したのを、主筆初め社長までが不賛成で、出來るだけ清潔な、大人らしい態度で遣れと云ふから、其積りで、記事なども餘程手加減して居たのだが、此頃から急に手を變へて、さうでもない事に迄「報知」式にドン/\
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