しい私の羨《うら》やみかつ敬服《けいふく》するところではあるが、諸君はその研究から利益とともにある禍《わざわ》いを受けているようなことはないか。かりにもし、ドイツ人は飲料水の代りに麦酒《ビール》を飲むそうだから我々もそうしようというようなこと……とまではむろんいくまいが、些少《さしょう》でもそれに類したことがあっては諸君の不名誉ではあるまいか。もっと卒直にいえば、諸君は諸君の詩に関する知識の日に日に進むとともに、その知識の上にある偶像を拵《こしら》え上げて、現在の日本を了解することを閑却《かんきゃく》しつつあるようなことはないか。両足を地面《じべた》に着けることを忘れてはいないか。
 また諸君は、詩を詩として新らしいものにしようということに熱心なるあまり、自己および自己の生活を改善するという一大事を閑却してはいないか。換言すれば、諸君のかつて排斥《はいせき》したところの詩人の堕落《だらく》をふたたび繰返さんとしつつあるようなことはないか。
 諸君は諸君の机上を飾っている美しい詩集の幾冊を焼き捨てて、諸君の企《くわだ》てた新運動の初期の心持に立還《たちかえ》ってみる必要はないか。
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 以上は現在私が抱いている詩についての見解と要求とをおおまかにいったのであるが、同じ立場から私は近時の創作評論のほとんどすべてについていろいろいってみたいことがある。



底本:「日本文学全集 12 国木田独歩 石川啄木集」集英社
   1967(昭和42)年9月7日初版発行
   1972(昭和47)年9月10日9版発行
入力:j.utiyama
校正:八巻美恵
ファイル作成:野口英司
1998年11月11日公開
2005年11月26日修正
青空文庫作成ファイル:
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