度をもたねばならぬ。
 すこし別なことではあるが、先ごろ青山学院で監督か何かしていたある外国婦人が死んだ。その婦人は三十何年間日本にいて、平安朝文学に関する造詣《ぞうけい》深く、平生日本人に対しては自由に雅語《がご》を駆使《くし》して応対したということである。しかし、その事はけっしてその婦人がよく日本を了解《りょうかい》していたという証拠にはならぬではなかろうか。

 詩は古典的でなければならぬとは思わぬけれども、現在の日常語は詩語としてはあまりに蕪雑《ぶざつ》である、混乱している、洗練されていない。という議論があった。これは比較的有力な議論であった。しかしこの議論には、詩そのものを高価なる装飾品のごとく、詩人を普通人以上、もしくは以外のごとく考え、または取扱おうとする根本の誤謬《ごびゅう》が潜《ひそ》んでいる。同時に、「現代の日本人の感情は、詩とするにはあまりに蕪雑である、混乱している、洗練されていない」という自滅《じめつ》的の論理を含んでいる。
 新らしい詩に対する比較的まじめな批評は、主としてその用語と形式とについてであった。しからずんば不謹慎《ふきんしん》な冷笑であった。ただそれら現代語の詩に不満足な人たちに通じて、有力な反対の理由としたものが一つある。それは口語詩の内容が貧弱であるということであった。
 しかしその事はもはやかれこれいうべき時期を過ぎた。
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 とにもかくにも、明治四十年代以後の詩は、明治四十年代以後の言葉で書かれねばならぬということは、詩語としての適不適、表白の便不便の問題ではなくて、新らしい詩の精神、すなわち時代の精神の必要であった。私は最近数年間の自然主義の運動を、明治の日本人が四十年間の生活から編みだした最初の哲学の萌芽[#「最初の哲学の萌芽」に白丸傍点]であると思う。そうしてそれがすべての方面に実行を伴っていたことを多とする。哲学の実行という以外に我々の生存には意義がない。詩がその時代の言語を採用したということも、その尊い実行の一部であったと私は見る。
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 むろん、用語の問題は詩の革命の全体ではない。
 そんなら(一)将来の詩はどういうものでなければならぬか。(二)現在の諸詩人の作に私は満足するか。(三)そもそも詩人とは何ぞ。
 便宜上私は、まず第三
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