く見て居るといふ事をも悟つた。ト同時に、口の歪んで居る事も、獨眼龍な事も、ナポレオンの骸骨な事も、忠太の云つた「氣をつけさつしあい」といふ事も、悉皆《すつかり》胸の中から洗ひ去られた。感じ易き我が心は、利害得失の思慮を運らす暇もなく、彼の目に溢れた好意を其儘自分の胸の盃で享けたのだ。いくら浮世の辛い水を飮んだといつても、年若い者のする事は常に斯うである。思慮ある人は笑ひもしよう。笑はば笑へ、敢て關するところでない。自分は年が若いのだもの。あゝ、青春幾時かあらむ。よしや頭が禿げてもこの熱《あつた》かい若々しい心情《こゝろもち》だけは何日《いつ》までも持つて居たいものだと思つて居る。曷《いづく》んぞ今にして早く蒸溜水の樣な心に成られるよう。自分と石本俊吉とは、逢會僅か二分間にして既に親友と成つた。自分は二十一歳、彼は、老《ふ》けても見え若くも見えるが、自分よりは一歳《ひとつ》か二歳《ふたつ》兄であらう。何れも年が若いのだ。初對面の挨拶が濟んだ許りで、二人の目と目とが空中で突當る。此瞬間に二つの若き魂がピタリと相觸れた。親友に成る丈けの順序はこれで澤山だ。自分は彼も亦一個の快男兒であると信ずる。
 然し其風采は? 噫其風采は!――自分は實際を白状すると、先刻《さつき》から戰時多端の際であつたので、實は稍々心の平靜を失して居た傾がある。隨つて此の新來の客に就いても、觀察未だ到らなかつた點が無いと云へぬ。今、一脚の卓子に相對して、既に十年の友の心を以て仔細に心置きなく見るに及んで、自分は今更の如く感動した。噫々、何といふ其風采であらう。口を開けばこそ、音吐朗々として、眞に凛たる男兒の聲を成すが、斯う無音の儘で相對して見れば、自分はモウ直視するに堪へぬ樣な氣がする。噫々といふ外には、自分のうら若き友情は、他に此感じを表はすべき辭を急に見出しかねるのだ。誠に失禮な言草ではあるが、自分は先に「悄然として塵塚の痩犬の如き一人物」と云つた。然しこれではまだ恐らく比喩《ひゆ》が適切でない。「一人物」といふよりも、寧ろ「悄然」其物が形を現はしたといふ方が當つて居るかも知れぬ。
 顏の道具立は如何にも調和を失して居る、奇怪である、餘程混雜して居る。然し、其混雜して居る故かも知れぬが、何處と云つて或る一つの纒まつた印象をば刻んで居ない。若し其道具立の一つ/\から順々に歸納的に結論したら、却つて
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