ぐ》な事を言ふなあ。烏鷺の趣味を解せん者は、そんな事を言うて喜ぶんぢやから全く始末に了へん。』
『劍持君。』と高橋は横合から言つた。『君本當に僕に碁を教へてくれんか? 教へるなら本當に習ふよ。』
さう言ふ顏は強《あなが》ち戯談ばかりとも見えなかつた。
『本當か、それは?』劍持は一寸不思議さうに對手の顏を見て、『……ああ、何か? 君は松永君が郷里へ歸つたんで、何かまた別の消閑法《ひまつぶし》を考へ出さにやならんのか?』
私は冷《ひや》りとした。
『戯談ぢやない。肺結核と碁と結び附けられてたまるもんか。』さう言つて高橋は苦笑ひをした。
幸ひと其の時、劍持は電話口へ呼び出された。高橋は給仕に石を片附ける事を云ひ附けて、そして卷煙草に火を點けて、何處へともなく編輯局を出て行つた。
其の頃から彼の樣子はまた少し變つた。私は彼の心に何か知ら空隙《すき》の出來たことを感じた。そして其の空隙を、彼が我々によつて滿たさうとしてはゐないことをも感じてゐた。
松永の病氣以前のやうに、時々我々の家へ來ることは無くなつた。社の仕事にも餘り氣乘りのしないやうな風だつた。人に目立たぬ程度に於て、遲く出て來
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