私も、この高橋に對しては、平生餘り注意を拂つてゐなかつた。同じ編輯局にゐて、同じ社會部に屬してゐたからには、無論毎日のやうに言葉は交はした。が、それはたゞ通り一遍の話で、對手を特に面白い男とか、厭な男とか思ふやうな機會は一度もなかつた。これは一人私ばかりでもなかつたらしい。ところが或時、例の連中、(其の頃漸く親しくなりかけた許りだつたが、)が或處に落ち合つて、色々の話の末に、社中の誰彼の棚下しを始めた。先づ上の方から、羽振りの好い者から、何十人の名が大抵我々の口に上つた。其の中に高橋の噂も出た。
『おい、あの高橋といふ奴な、彼奴も何だか變な奴だぜ。』と一人が言つた。
『さうぢやのう。僕も彼奴に就いちや考へとるんぢやが、一體あの男あ彼《あ》の儘なんか、それとも高く留まつてるんか?』
『高く留まつてるんでもないね。』と他の一人が言つた。
『何うもさうではないやうだね。あれで却々親切なところがあるよ。僕は此間の赤十字の總會に高橋と一緒に行つたがね。』
 最初の一人は、『それは彼奴は色んな事を知つとるぜ。何時か寒石老人と説文の話か何かしとつた。』
『さうぢや。僕も聞いとつた。何しろ彼の男あ一癖
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