もない。さう言ふと大袈裟だが、實際我々が、感情の命令によつて何れだけ處世の方針を變へて可いかは、よく解つてる話ぢやないか?――逢坂が昨日、自分の方が先に言ひ附けたのに、何故外の用を先にしたと言つて給仕を虐《いぢ》めてゐたつけが、感情を發表するに正直だといふ點では、我々は遠く逢坂に及ばないよ。さうだらう? 若し其の逢坂が我々の唾棄すべき人間ならばだ、我々の今の樣な言動を同時に唾棄しなくつちやならんぢやないか? あんな奴の蔭口を利くより、何かもう少し氣の利いた話題はないもんかねえ。』
 高橋は一座を見廻した。我々は誰も皆、少し煙に捲かれたやうな顏をしてゐた。
『それはさうさ。話題はいくらでもあるが、然し可いぢやないか? 我々は何も逢坂を攻撃して快とするんぢやない。言はば座興だもの。』と私は言つた。
『座興さ、無論。それは僕だつて解つてるよ。僕が言つたんだつて矢張座興だよ。故意に君等を攻撃したんぢやないよ。』
『此奴は隨分皮肉に出來てる男さね。――つまり君のいふのは平凡主義さ。それはさうだよ。人間なんて、君、そんなに各自《めい/\》違つてるもんぢやないからねえ。』
 安井は妙な所で折れて了つ
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