つたね。さうでなければ田舍から親類でも來て、それで社を休んで方々案内してるんだらうと思つたね。』
『さうぢやないのか?』言ひながら私は、安井の言ふ事が何となく信じられないやうな氣持だつた。
『一人さ。』安井は續けた。『何うも僕も不思議だと思つたね。さうして次の寫眞の間に、横手の、便所へ行く方のずつと前へ行つてゐて、こんだよく見屆けてやらうと思つて明るくなるのを待つてゐると、矢張|擬《まが》ひなしの高橋ぢやないか。しかも頗る生眞面目な顏をして、卷煙草を出してすぱすぱ吸ひながら、花聟みたいに濟まあしてゐるんぢやないか! 僕は危く吹き出しちやつたね。』
『驚いたね。高橋君が活動寫眞を見るたあ思はなかつた。――それで何か、君は言葉を懸けたんか?』
『懸けようと思つたさ。然し何しろ四間も五間も、離れてるしね。中へ入つて行かうたつて、彼《あ》の通りぎつしりだから入《はひ》れやしないんだ。汗はだく/\流れるしね。よく彼んな處の中央《まんなか》へ入つてるもんだと思つたよ。』
『それぢや高橋君は、君に見られたのを知らずにゐるんか?』
『知らんさ。彼れ是れ一時間ばかり經つて入代りになつた時、先生も立つて歸るやうな樣子だつたから、僕も大急ぎで外へ出たんだが、出る時それでも二三分は暇を取つたよ。だから辛《やつ》と外へ出て來て探したけれども、遂々《とう/\》行方知れずさ。』
『隨分振つてるなあ! 一體何の積りで、活動寫眞なんか見に行つたんだらう?』
『解らんね、それが。僕は默つて、寫眞よりも高橋君の方ばかり見てゐたんだが、其の内に段々目が暗くなるのに慣れて來てね。面白かつたよ。惡戯小僧の寫眞なんか出ると、先生大口開いて笑ふんぢやないか? 周圍の愚夫愚婦と一緒にね。』
話してるところへ、玄關に人の訪ねて來たけはひがした。家の者の出て挨拶する聲もした。
『ああ、さうですか。安井君が。』さういふ言葉が明瞭《はつきり》と聞えた。
『高橋だ。』
『高橋だ。』
安井と私は同時にさう言つて目を見合はした。そして妙に笑つた。
『やあ。』言ひながら高橋は案内よりも先に入つて來た。燈火の加減でか、平生《いつも》より少し脊が低く見えた。そして、見慣れてゐる袴を穿いてゐない所爲《せゐ》か、何となく見すぼらしくも有つた。
『やあ。』私も言つた。『噂をすれば影だ。よくやつて來たね。』
『僕の噂をしてゐたのか?』さう
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