社した。
間もなく我々は、もう再び逢はれまじき友人と其の母とを新橋の停車場に送つた。其の日高橋はさつぱり口を利かなかつた。そして一人で切符を買つたり、荷物を處理したりしてゐた。やがて我々はプラットフォームに出た。松永の母は先づ高橋にくど/\と今までの禮を述べた。それから我々にも一人々々にそれを繰り返した。恰度私の番が濟んだ時だつた。不圖私は高橋の顏を見た。――高橋は側を向いて長い欠伸をしてゐた。そして急がしく瞬きした。涙のやうなものが兩眼に光つた。
汽車が立つて了つて、我々はプラットフォームを無言の儘に出た。そして停車場の正面の石段を無言の儘に下りた。
『ああ。』高橋は投げ出すやうな調子で背後《うしろ》から言つた、
『松永も遂々行つちやつたか!』
『やつたのは君ぢやないか?』
安井が調戯《からか》ふやうに言つて振り返つた。
『僕がやつた? 僕にそれだけの力が有るやうに見えるか?』
安井は氣輕な笑ひ方をして、『誰か松永君の寫眞を持つてる者は無いか? 何時か一度撮つとくと可かつたなあ。』
『劍持のところに、松永の畫いた鉛筆の自畫像があつた筈だ。』と私が言つた。
其の日我々の連中で見送りに來なかつたのは、前の日から或事件の爲に鎌倉へ出張してゐる劍持だけであつた。
五
『龜山君、君は碁はやらないのか?』
高橋は或日編輯局で私にさう言つた。松永に別れて、四、五日經つた頃だつた。
『碁は些《ちつ》とも知らん。君はやるか?』
『僕も知らん。そんなら五目竝べをやらうか? 五目竝べなら知つとるだらう?』
『やらうか。』
二人は卓子の上に放棄《うつちや》らかしてあつた碁盤を引き寄せて、たわいの無い遊戯を始めた。恰度我々外勤の者は手が透いて、編輯机の上だけが急がしい締切時間間際だつた。
側には逢坂がゐて、うるさく我々の石を評した。二人は態《わざ》と逢坂の指圖の反對にばかり石を打つた。勝負は三、四囘あつた。高橋は逢坂に、
『どうだ、僕等の五目竝べは商賣離れがしてゐて却つて面白いだらう?』と調戯《からか》つた。
『何をしとるんぢや、君等は?』言ひながら劍持が來て盤の上を覗いた。『ほう、何といふこつちや! 髯を生やして子供の眞似をしとるんか?』
『忙中閑ありとは此の事よ。君のやうに賭碁をやるやうに墮落しちや、かういふ趣味は解らんだらう?』と私は笑つた。
『生意氣
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