で或私設の展覽會に出した。これが知れて師畫伯から破門され、同時に美術學校も中途で廢して、糊口の爲に私の社に入つたとかいふことだつた。
 不幸な男だつた。もう三十近い齡をしてゐながら獨身で、年とつた母と二人限りの淋しい生活をしてゐたが、女にでも有りさうな柔しい物言ひ、擧動の裡に、常に抑へても抑へきれぬ不平を藏してゐた。從つて何方かといふと狷介《けんかい》な、容易に人に親しまぬ態度も有つた。
 或時風邪を引いたと言つて一週間ばかりも社を休んだが、それから後、我々は時々松永が、編輯局の片隅で力の無い咳をしては、頬を赤くしてゐるのを見た。妙な咳だつた。我々はそれとなく彼の健康を心配するやうになつた。
 二月ばかり經つと、遂に松永はまた社を休むやうになつた。「松永さんは肺病だとよ。」給仕までがそんな噂をするやうになつた。そろそろ暑くなりかける頃だつた。間もなく一人の新しい畫工が我々の編輯局に入つて來た。我々は一種の恐怖を以て敏腕な編輯長の顏を見た。が、其の事は成るべく松永に知らせないやうにしてゐた。
 高橋が或日私を廊下に伴れ出した。
『おい、松永は死ぬぞ。今年のうちに屹度死ぬぞ。』
『何故? そんな事は無いだらう?』私は先づ驚いてさう言つた。
『いいや、死ぬね。』高橋は何處までもさう信じてゐるやうな口調だつた。
『然し肺だつて十年も、二十年も生きるのがあるぢやないか? 僕の知つてる奴に、もう六七年になるのが有る。適度の攝生さへやつてゐれや肺病なんて怖いもんぢやないつて、其奴が言つてるぜ。』
『さういふのも有るさ。』
『松永はまだ咯血もしないだらう。』
『うん、まだしない。――僕はこれから行つて見てやらうと思ふが、君も行かんか?』
『今日は夜勤だから駄目だ。』
『さうか。それぢや明日でも行つてやり給へ。――死ぬと極つた者位可哀さうなものは無いよ。』
 さう言つて、もう行きさうにする。私は慌てゝ呼止めて、
『そんなに急に惡くなつたんか? 四、五日前に僕の行つた時はそんなぢや無かつたぜ。』
『別段惡くも見えないがね。――實はね、僕は昨日初めて見舞に行つたが、本人は案外|暢氣《のんき》な事を言つてるけれども、何となく斯う僕は變な氣がしたんだ。それから歸りに醫者へ行つて聞いたさ。』
『そら可かつた。』
『ところが可かないんだ。聞かない方が餘つ程可かつた。醫者は松永のやうな不完全な胸膈
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