でゝも有るかのやうに羚羊《かもしか》の皮の財布を振り※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]した。
『その軍人てのは何《ど》れだ!』
『それ其處に寢てるだあ。』
『よし、それぢあ其奴を警察に渡さなくちやならん。』
『警察に渡すね? 何故警察に渡すだね? 南無阿彌陀佛《なんまあみだぶ》、止して御座らつせえ。此奴に手を付けるでねえだよ。默つて寢かして置きなせえ。』そして、飾り氣の無い、柔しい調子で付け加へた。『慥《たし》かに金ははあ見《め》つかつただもの。皆此處にあるだ。それをはあ此の上何が要るだね?』
 さうして此事件は終つた。

 右は教授パウル・ミルヨウコフ氏が嘗て市俄高大學の聘に應じて講演し、後同大學から出版された講演草稿『露西亞と其の危機』中、教授自らの屬する國民――露西亞人の性格を論じた條《くだり》に引用した、一外國旅行家の記述の一節である。
 明治四十三年五月下旬、私は東京市内の電車の中で、次のやうな事實を目撃した。――雨あがりの日の午前の事である。品川行の一電車が上野廣小路の停留場を過ぎて間もなく、乘合の一人なる婦人――誰の目にも上流社會の人と見えるやうな服裝をした、然し
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