》に
手をあてて
寒き夜にする物思ひかな
水のごと
身体《からだ》をひたすかなしみに
葱《ねぎ》の香《か》などのまじれる夕《ゆふべ》
時ありて
猫のまねなどして笑ふ
三十路《みそぢ》の友のひとり住《ず》みかな
気弱《きよわ》なる斥候《せきこう》のごとく
おそれつつ
深夜の街を一人散歩す
皮膚《ひふ》がみな耳にてありき
しんとして眠れる街《まち》の
重き靴音
夜《よる》おそく停車場に入《い》り
立ち坐《すわ》り
やがて出《い》でゆきぬ帽《ばう》なき男
気がつけば
しっとりと夜霧|下《お》りて居《を》り
ながくも街をさまよへるかな
若《も》しあらば煙草《たばこ》恵《めぐ》めと
寄りて来《く》る
あとなし人《びと》と深夜に語る
曠野《あらの》より帰るごとくに
帰り来《き》ぬ
東京の夜《よ》をひとりあゆみて
銀行の窓の下なる
舗石《しきいし》の霜《しも》にこぼれし
青インクかな
ちょんちょんと
とある小藪《こやぶ》に頬白《ほほじろ》の遊ぶを眺む
雪の野《や》の路《みち》
十月の朝の空気に
あたらしく
息|吸《す》ひそめし赤坊《あかんぼ》のあり
十月の産病院の
しめりたる
長き廊下のゆきかへりかな
むらさきの袖《そで》垂《た》れて
空を見上げゐる支那《しな》人ありき
公園の午後
孩児《をさなご》の手ざはりのごとき
思ひあり
公園に来てひとり歩《あゆ》めば
ひさしぶりに公園に来て
友に会ひ
堅《かた》く手握り口疾《くちど》に語る
公園の木《こ》の間《ま》に
小鳥あそべるを
ながめてしばし憩《いこ》ひけるかな
晴れし日の公園に来て
あゆみつつ
わがこのごろの衰《おとろ》へを知る
思出のかのキスかとも
おどろきぬ
プラタヌの葉の散りて触《ふ》れしを
公園の隅《すみ》のベンチに
二度ばかり見かけし男
このごろ見えず
公園のかなしみよ
君の嫁《とつ》ぎてより
すでに七月《ななつき》来《き》しこともなし
公園のとある木蔭《こかげ》の捨椅子《すていす》に
思ひあまりて
身をば寄せたる
忘られぬ顔なりしかな
今日|街《まち》に
捕吏《ほり》にひかれて笑《ゑ》める男は
マチ擦《す》れば
二尺ばかりの明るさの
中をよぎれる白き蛾《が》のあり
目をとぢて
口笛かすかに吹きてみぬ
寐《ね》られぬ夜の窓にもたれて
わが友は
今日も母なき子を負ひて
かの城址《しろあと》にさまよへるかな
夜《よる》おそく
つとめ先よりかへり来《き》て
今死にしてふ児《こ》を抱《だ》けるかな
二三《ふたみ》こゑ
いまはのきはに微《かす》かにも泣きしといふに
なみだ誘《さそ》はる
真白《ましろ》なる大根の根の肥《こ》ゆる頃
うまれて
やがて死にし児《こ》のあり
おそ秋の空気を
三尺四方《さんじやくしはう》ばかり
吸ひてわが児の死にゆきしかな
死にし児の
胸に注射の針を刺す
医者の手もとにあつまる心
底知れぬ謎《なぞ》に対《むか》ひてあるごとし
死児《しじ》のひたひに
またも手をやる
かなしみのつよくいたらぬ
さびしさよ
わが児のからだ冷《ひ》えてゆけども
かなしくも
夜《よ》明《あ》くるまでは残りゐぬ
息《いき》きれし児の肌《はだ》のぬくもり
底本:「日本文学全集12 国木田独歩 石川啄木集」集英社
1967(昭和42)年9月12日初版発行
1972(昭和47)年9月10日9版発行
※冒頭の献辞と自序は、「啄木全集 第一巻」筑摩書房、1970(昭和45)年5月20日初版第4刷発行から、補いました。
入力:j.utiyama
校正:浜野智
1998年8月11日公開
2004年5月19日修正
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