《のりあひ》の砲兵士官《はうへいしくわん》の
剣の鞘《さや》
がちゃりと鳴るに思ひやぶれき

名のみ知りて縁《えん》もゆかりもなき土地の
宿屋《やどや》安けし
我が家《いへ》のごと

伴《つれ》なりしかの代議士の
口あける青き寐顔《ねがほ》を
かなしと思ひき

今夜こそ思ふ存分《ぞんぶん》泣いてみむと
泊《とま》りし宿屋の
茶のぬるさかな

水蒸気
列車の窓に花のごと凍《い》てしを染《そ》むる
あかつきの色

ごおと鳴る凩《こがらし》のあと
乾《かわ》きたる雪舞ひ立ちて
林を包《つつ》めり

空知川《そらちがは》雪に埋《うも》れて
鳥も見えず
岸辺《きしべ》の林に人ひとりゐき

寂莫《せきばく》を敵とし友とし
雪のなかに
長き一生を送る人もあり

いたく汽車に疲れて猶《なほ》も
きれぎれに思ふは
我のいとしさなりき

うたふごと駅の名呼びし
柔和《にうわ》なる
若き駅夫《えきふ》の眼をも忘れず

雪のなか
処処《しよしよ》に屋根見えて
煙突《えんとつ》の煙《けむり》うすくも空にまよへり

遠くより
笛《ふえ》ながながとひびかせて
汽車今とある森林に入《い》る

何事も思ふことなく
日一日《ひいちにち》
汽車のひびきに心まかせぬ

さいはての駅に下《お》り立ち
雪あかり
さびしき町にあゆみ入《い》りにき

しらしらと氷かがやき
千鳥なく
釧路《くしろ》の海の冬の月かな

こほりたるインクの罎《びん》を
火に翳《かざ》し
涙ながれぬともしびの下《もと》

顔とこゑ
それのみ昔に変らざる友にも会ひき
国の果《はて》にて

あはれかの国のはてにて
酒のみき
かなしみの滓《をり》を啜《すす》るごとくに

酒のめば悲しみ一時に湧《わ》き来《く》るを
寐《ね》て夢みぬを
うれしとはせし

出《だ》しぬけの女の笑ひ
身に沁《し》みき
厨《くりや》に酒の凍《こほ》る真夜中

わが酔《ゑ》ひに心いためて
うたはざる女ありしが
いかになれるや

小奴《こやつこ》といひし女の
やはらかき
耳朶《みみたぼ》なども忘れがたかり

よりそひて
深夜《しんや》の雪の中に立つ
女の右手《めて》のあたたかさかな

死にたくはないかと言へば
これ見よと
咽喉《のんど》の痍《きず》を見せし女かな

芸事《げいごと》も顔も
かれより優《すぐ》れたる
女あしざまに我を言へりとか

舞《ま》へといへば立ちて舞ひにき
おのづから
悪酒《あくしゆ》の酔《ゑ》ひにたふるるまでも

死ぬばかり我が酔《ゑ》ふをまちて
いろいろの
かなしきことを囁《ささや》きし人

いかにせしと言へば
あをじろき酔《ゑ》ひざめの
面《おもて》に強《し》ひて笑《ゑ》みをつくりき

かなしきは
かの白玉《しらたま》のごとくなる腕に残せし
キスの痕《あと》かな

酔《ゑ》ひてわがうつむく時も
水ほしと眼《め》ひらく時も
呼びし名なりけり

火をしたふ虫のごとくに
ともしびの明るき家《いへ》に
かよひ慣《な》れにき

きしきしと寒さに踏めば板《いた》軋《きし》む
かへりの廊下の
不意のくちづけ

その膝《ひざ》に枕《まくら》しつつも
我がこころ
思ひしはみな我のことなり

さらさらと氷の屑《くづ》が
波に鳴る
磯の月夜のゆきかへりかな

死にしとかこのごろ聞きぬ
恋がたき
才《さい》あまりある男なりしが

十年《ととせ》まへに作りしといふ漢詩《からうた》を
酔《ゑ》へば唱《とな》へき
旅に老《お》いし友

吸ふごとに
鼻がぴたりと凍《こほ》りつく
寒き空気を吸ひたくなりぬ

波もなき二月の湾《わん》に
白塗《しろぬり》の
外国船が低く浮かべり

三味線《さみせん》の絃《いと》のきれしを
火事のごと騒ぐ子ありき
大雪の夜《よ》に

神のごと
遠く姿をあらはせる
阿寒《あかん》の山の雪のあけぼの

郷里《くに》にゐて
身投げせしことありといふ
女の三味《さみ》にうたへるゆふべ

葡萄色《えびいろ》の
古き手帳にのこりたる
かの会合《あひびき》の時と処《ところ》かな

よごれたる足袋《たび》穿《は》く時の
気味《きみ》わるき思ひに似たる
思出《おもひで》もあり

わが室《へや》に女泣きしを
小説のなかの事かと
おもひ出《い》づる日

浪淘沙《らうたうさ》
ながくも声をふるはせて
うたふがごとき旅なりしかな

   二

いつなりけむ
夢にふと聴《き》きてうれしかりし
その声もあはれ長く聴かざり

頬《ほ》の寒き
流離《りうり》の旅の人として
路《みち》問《と》ふほどのこと言ひしのみ

さりげなく言ひし言葉は
さりげなく君も聴きつらむ
それだけのこと

ひややかに清き大理石《なめいし》に
春の日の静かに照るは
かかる思ひならむ

世の中の明るさのみを吸ふごとき
黒き瞳《ひとみ》の
今も目にあり

かの時に言ひそびれ
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