よごれたる
吸取紙《すひとりがみ》をなつかしむかな
手にためし雪の融《と》くるが
ここちよく
わが寐飽《ねあ》きたる心には沁《し》む
薄れゆく障子《しやうじ》の日影《ひかげ》
そを見つつ
こころいつしか暗くなりゆく
ひやひやと
夜は薬の香《か》のにほふ
医者が住みたるあとの家《いへ》かな
窓硝子《まどガラス》
塵《ちり》と雨とに曇《くも》りたる窓硝子にも
かなしみはあり
六年《むとせ》ほど日毎日毎《ひごとひごと》にかぶりたる
古き帽子も
棄《す》てられぬかな
こころよく
春のねむりをむさぼれる
目にやはらかき庭の草かな
赤煉瓦《あかれんぐわ》遠くつづける高塀《たかべい》の
むらさきに見えて
春の日ながし
春の雪
銀座の裏の三階の煉瓦|造《づくり》に
やはらかに降る
よごれたる煉瓦の壁に
降りて融《と》け降りては融くる
春の雪かな
目を病《や》める
若き女の倚《よ》りかかる
窓にしめやかに春の雨降る
あたらしき木のかをりなど
ただよへる
新開町《しんかいまち》の春の静けさ
春の街《まち》
見よげに書ける女名《をんなな》の
門札《かどふだ》などを読みありくかな
そことなく
蜜柑《みかん》の皮の焼くるごときにほひ残りて
夕《ゆふべ》となりぬ
にぎはしき若き女の集会《あつまり》の
こゑ聴《き》き倦《う》みて
さびしくなりたり
何処《どこ》やらに
若き女の死ぬごとき悩《なや》ましさあり
春の霙《みぞれ》降る
コニャックの酔《ゑ》ひのあとなる
やはらかき
このかなしみのすずろなるかな
白き皿《さら》
拭《ふ》きては棚《たな》に重《かさ》ねゐる
酒場の隅《すみ》のかなしき女
乾きたる冬の大路《おほぢ》の
何処《いづく》やらむ
石炭酸《せきたんさん》のにほひひそめり
赤赤《あかあか》と入日《いりひ》うつれる
河ばたの酒場の窓の
白き顔かな
新しきサラドの皿《さら》の
酢《す》のかをり
こころに沁《し》みてかなしき夕《ゆふべ》
空色《そらいろ》の罎《びん》より
山羊《やぎ》の乳をつぐ
手のふるひなどいとしかりけり
すがた見の
息《いき》のくもりに消されたる
酔《ゑ》ひうるみの眸《まみ》のかなしさ
ひとしきり静かになれる
ゆふぐれの
厨《くりや》にのこるハムのにほひかな
ひややかに罎《びん》のならべる棚《たな》の前
歯《は》せせる女を
か
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