に襲はれて、何處か人のゐない處へ行つて横になりたいやうな氣分になつた事などによつて、予はよく自分の健康の著るしく均整を失してゐることを知つてゐたに拘らず、「然し痛くない」といふ極めて無力なる理由によつて、一人の友人が來てこれから大學病院に行かうと居催促するまでは、まだ眞に醫者にかゝらうとする心を起さずに居た。また同じ理由によつて、既に診察を受けた後も自分の病氣の一寸した服藥位では癒らぬ性質のものであるを知りながら、やつぱり自分で自分を病人と呼ぶことが出來なかつた。
 かういふ事は、しかしながら、決して予の病氣についてのみではなかつたのである。考へれば考へる程、予の半生は殆んどこの悲しい横着の連續であつたかの如く見えた。予は嘗て誤つた生活をしてゐて、その爲に始終人と自分とを欺かねばならぬ苦しみを味はひながら、猶且つその生活をどん底まで推し詰めて、何うにも斯うにも動きのとれなくなるまでは、その苦しみの根源に向つて赤裸々なる批評を加へることを爲しかねてゐた。それは餘程以前の事であるが、この近い三年許りの間も、常に自分の思想と實生活との間の矛盾撞着に惱まされながら、猶且つその矛盾撞着が稍々大なる一つの悲劇として事實に現はれてくるまでは、その痛ましき二重生活に對する自分の根本意識を定めかねてゐたのである。さうしてその悲しむべき横着によつて知らず識らずの間に予の享けた損失は、殆んど測るべからざるものであつた。
 更に最近の一つの例を引けば、予は予の腹に水がたまつたといふ事を、診察を受ける前から多分さうだらうと自分でも想像してゐたに拘らず、入院後第一囘の手術を受けて、トラカルの護謨《ゴム》の管から際限もなく流れ落つる濃黄色の液體を目撃するまでは、確かにさうと信じかねてゐた。

     四

 それは予が予の身體と重い腹とを青山内科第十八號室の眞白な寢臺の上に持ち運んでから四日目の事であつた。晝飯が濟むと看護婦とその二人の助手とはセツセと色々の器械を予の室に持ち込んだ。さうして看護婦は「今日は貴下のお腹の水を取るのよ。」と言つて、自分の仕事の一つ増えたのを喜ぶやうに悦々《いそ/\》として立働いてゐる。檢温器と聽診器との外には、機械といふものを何一つ身體に當てられた事のない予も、それを聞くと何か知ら嬉しいやうな氣になつた。やがて※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]診の時間にな
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