うかすると自分の持味で他の味をかき乱そうとするからだ。それに較べると、山椒の匂は刺激はあるが、苦味がないだけに、外のものとの折れ合も悪くはない。
筍といういたずらものがある。春になると、土鼠のように、土のなかから産毛《うぶげ》だらけの頭を持出して来る奴だが、このいたずらもののなかには、えぐい味のがあって、そんなのはどうかすると、食べた人に世の中を味気なく思わせるものだ。また小芋という頭の円い小坊主がいる。この小坊主にもえぐいのがあって、これはまた食べた人を怒りっぽくするものだが、こんな場合に木の芽がつまに添えてあると、私たちはそれを噛んで、こうした小さな悪党達の悪戯《いたずら》から、やっと逃げ出すことが出来る。
3
イギリスのある詩人がいった。――
「万人の鼻に嗅ぎつけられる匂が二つある。一つは燃える炭火の匂。今一つは溶ける脂肪の匂。前のは料理を仕過ぎた匂で、後のは料理を仕足りない匂だ。」
と。私は今一つ、木の芽や、またそれと同じような働きをするものをこれに附け加えて、料理の風味を添える匂としたいと思う。
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物の味
1
「どんな芸事でも、食物の味のわからない人達に、その呼吸がわかろうはずがありませんよ。庖丁加減にちっとも気のつかない奴が、物の上手になったためしはないのですからな。」
四条派の始祖松村呉春は、人を見るとよくこんなことをいったものだ。
呉春は、『胆大小心録』の著者上田秋成から、「食いものは、さまざまと物好みが上手じゃった。」といわれたほどあって、味覚がすぐれて鋭敏な人で、料理の詮議はなかなかやかましかった。
呉春は若い頃から、暮し向がひどく不自由なのにもかかわらず、五、六人の俳人仲間と一緒に、一菜会という会をこしらえて、毎月二度ずつ集まっていた。そしてその会では、俳諧や、絵画の研究の外に、いろいろ変った料理を味って、この方面の知識を蓄えることも忘れなかった。
2
呉春は困った時には、島原の遊女が昵懇客《なじみきゃく》へおくる艶書の代筆までしたことがあった。そんな苦しい経験を数知れず持っている彼も、画名があがってからの貧乏は、どうにも辛抱が出来なかった。
師の蕪村の門を出てから後も、呉春の画は一向に売れなかった。彼は自分の前に一点のかすかな光明をも見せてくれない運命を呪った。そしてとうとうわれとわれが存在を否定しようとした。生きようにも生きるすべのないものは、死ぬより仕方がなかった。
物を味うことの好きな呉春に、たった一つ、死ぬる前に味っておかねばならぬものが残されていた。
彼は一度でいいから、心ゆくまでそれを味ってみたいと思いながら、今日まで遂にそれを果すことが出来なかったのだ。
それはこの世に二つとない美味いものだった。しかし、それを食べたものは、やがて死ななければならなかった。彼はその死が怖ろしさに、今日までそれを味うことを躊躇していた。
それを味うことが、やがて死であるとすれば、いま死のうとする彼にとって、そんな都合のよい食物はなかった。
その食物というのは、外でもない。河豚《ふぐ》であった。
呉春は死のうと思いきめたその日の夕方、めぼしいものを売った金で、酒と河豚とを買って来た。
「河豚よ。今お前を味うのは、やがてまた死を味うわけなのだ。お前たち二つのものにここで一緒に会えるのは、おれにとっても都合が悪くはない。」
呉春は透きとおるような魚の肉を見て、こんなことを考えていた。そしてしたたか酒を煽飲《あお》りながら、一箸ごとに噛みしめるようにしてそれを味った。
河豚は美味かった。多くの物の味を知りつくしていた呉春にも、こんな美味いものは初めてだった。彼は自分の最期に、この上もない物を味うことが出来るのを、いやそれよりも、そういう物を楽しんで味うことによって、安々と死をもたらすことが出来るのを心より喜んだ。
暫くすると、彼の感覚は倦怠を覚え出した。薄明りが眼の前にちらつくように思った。麻痺が来かかったのだ。
「河豚よ。お前は美味かった。すてきに美味かった。――死もきっとそうに違いなかろう……」
呉春はだるい心の底で夢のようにそんなことを思った……。
柔かい闇と、物の匂のような眠とが、そっと落ちかかって来た。彼はその後のことは覚えなかった。
3
翌朝、日が高く昇ってから、呉春は酒の酔と毒魚の麻痺とから、やっと醒めかかることが出来た。
彼は亡者のような恐怖に充ちた眼をしてそこらを見まわした。やがて顔は空洞《うつろ》のようになった。彼が取り散らした室の様子を見て、昨夜からの始末をやっと思い浮べることが出来たのは、それから大分時が経ってからのことだった。
まだ痛みのどこかに残っている頭をかかえたまま、彼はぼんやりと考え込んでいたが、暫くすると、重そうに顔をもち上げた。そして
「死んだものが生きかえったのだ。よし、おれは働こう。何事にも屈託などしないぞ。」
と呻くように叫んだ。彼は幾年かぶりに自分が失くした声を取り返したように思った。
その途端彼は自分を殺して、また活かしてくれた河豚を思って、その味いだけは永久に忘れまいと思った。
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食味通
1
物事に感じの深い芸術家のなかには、味覚も人一倍すぐれていて、とかく料理加減に口やかましい人があるものだ。蕪村門下の寧馨児《ねいけいじ》として聞えた松村月渓もその一人で、平素よく、物の風味のわからない人達に、芸事の細かい呼吸が解せられようはずがないといいいいしていて、弟子をとる場合には、画よりも食物のことを先に訊いたものだそうだ。
だが、物の風味を細かく味いわけなければならない食味などいうものは、得てして実際よりも口さきの通がりの方が多いもので、見え坊な芸術家のなかには、どうかするとそんなものを見受けないこともない。ロシアの文豪プウシキンなども、自分が多くの文人と同じように詩のことしかわからないと言われるのが厭さに、他人と話をするおりには、自分の専門のことなぞは噫《おくび》にも出さないで、馬だの骨牌だのと一緒に、よく料理の事をいっぱし通のような口振で話したものだ。だが、ほんとうの事を言うと、プウシキンはアラビヤ馬とはどんな馬なのか、一向に見わけがつかず、骨牌の切札とは、どんなものをいうのか、知りもしなかった。一番ひどいのは料理の事で、仏蘭西式の本場の板前よりも、馬鈴薯を油で揚げたのが好物で、いつもそればかりを旨そうにぱくついていたという事だ。
2
そんな通がりの多い中に、日根対山は食味通として、立派な味覚を持っている一人だった。対山は岡田半江の高弟で、南宗画家として明治の初年まで存《ながら》えていた人だった。
対山はひどい酒好きだったが、いつも名高い剣菱ばかりを飲んでいて、この外にはどんな酒にも唇を濡そうとしなかった。何かの会合で出かける場合には、いつも自用の酒を瓢に詰めて、片時もそれを側より離さなかった。
ある時、土佐の藩主山内容堂から席画を所望せられて、藩邸へ上った事があった。画がすむと、別室で饗応があった。
席画の出来栄《できばえ》にすっかり上機嫌になった容堂は、
「対山は酒の吟味がいこう厳しいと聞いたが、これは乃公の飲料《のみしろ》じゃ。一つ試みてくれ。」
といって、被布姿で前にかしこまっている画家に盃を勧めた。
対山は口もとに微笑を浮べたばかしで、盃を取り上げようともしなかった。
「殿に御愛用がおありになりますように、手前にも用い馴れたものがござりますので、その外のものは……」
「ほう、飲まぬと申すか。さてさて量見の狭い酒客じゃて。」容堂の言葉には、客の高慢な言い草を癪にさえるというよりも、それをおもしろがるような気味が見えた。「そう聞いてみると尚更のことじゃ。一献掬まさずにはおかぬぞ。」
対山は無理強いに大きな盃を手に取らせられた。彼は嘗めるようにちょっと唇を浸して、酒を吟味するらしかったが、そのまま一息にぐっと大盃を飲み干してしまった。
「確かに剣菱といただきました。殿のお好みが、手前と同じように剣菱であろうとは全く思いがけないことで……」
彼は酒の見極めがつくと、初めて安心したように盃の数を重ね出した。
3
あるとき、朝早く対山を訪ねて来た人があった。その人は道の通りがかりにふとこの南宗画家の家を見つけたので、平素の不沙汰を詫びかたがた、ちょっと顔を出したに過ぎなかった。
対山は自分の居間で、小型の薬味箪笥のようなものにもたれて、頬杖をついたままつくねんとしていたが、客の顔を見ると、
「久しぶりだな。よく来てくれた。」
と言って、心から喜んで迎えた。そしていつもの剣菱をギヤマンの徳利に入れて、自分で燗をしだした。その徳利はオランダからの渡り物だといって、対山が自慢の道具の一つだった。
酒が暖まると、対山は薬味箪笥の抽斗《ひきだし》から、珍らしい肴を一つびとつ取り出して卓子に並べたてた。そのなかには江戸の浅草海苔もあった。越前の雲丹もあった。播州路の川で獲《と》れた鮎のうるかもあった。対山はまた一つの抽斗から曲物《まげもの》を取り出し、中味をちょっぴり小皿に分けて客に勧めた。
「これは八瀬の蕗の薹で、わしが自分で煮つけたものだ。」
客はそれを嘗めてみた。苦いうちに何とも言われない好い匂があるように思った。対山はちびりちびり盃の数を重ねながら、いろんな食べ物の講釈をして聞かせた。それを聞いていると、この人は持ち前の細かい味覚で嚼みわけたいろんな肴の味を、も一度自分の想像のなかで味い返しているのではあるまいかと思われた。そして酒を飲むのも、こんな楽みを喚び起すためではあるまいかと思われた。
客はそんな話に一向興味を持たなかったので、そろそろ暇を告げようとすると、対山は慌ててそれを引きとめた。
「まあよい。まあよい。今日は久しぶりのことだから、これから画を描いて進ぜる。おい、誰か紙を持って来い。」
彼は声を立てて次の間に向って呼かけた。
画と聞いては、客も帰るわけには往かなかった。暫くまた尻を落着けて話の相手をしていると、対山は酒を勧め、肴を勧めるばかりで、一向絵筆をとろうとしなかった。客は待ちかねてそれとなく催促をしてみた。
「お酒も何ですが、どうか画の方を……。」
「画の方……何か、それは。」
酒に酔った対山は、画のことなどはもうすっかり忘れているらしかった。
「さっき先生が私に描いてやるとおっしゃいました……。」
客が不足そうに言うと、やっと先刻の出鱈目を思い出した対山は、
「うん。そのことか。それならすぐにも描いて進ぜるから、今一つ重ねなさい。」
と、またしても盃を取らせようとするのだ。
こんなことを繰り返しているうちに、到頭夜になった。そこらが暗くなったので、行灯が持ち出された。
へべれけに酔っ払った対山は、黄ろい灯影《ほかげ》にじっと眼をやっていたが、
「さっき画を進ぜるといったが、画よりももっといいものを進ぜよう。」
独語のように言って、よろよろと立ち上ったかと思うと、床の間から一振の刀を提げて来た。そしていきなり鞘をはずして、
「やっ。」
という掛声とともに、盲滅法に客の頭の上でそれを揮りまわした。
客はびくりして、取るものも取りあえず座から転び出した。
戸外の冷っこい大気のなかで、客はやっと沈着を取り返すことが出来た。そして朝からのいきさつを頭のなかで繰り返して思った。
「あの先生の酒は、物の味を肴にするのじゃなくて、感興を肴にするのだ。私というものも、つまりは八瀬の蕗の薹と同じように、先生にとって一つの肴に過ぎなかったのだ――たしかにそうだ。」
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徳富健次郎氏
1
徳富健次郎氏が歿くなった。重病のことだったし、どうかとも思う疑いはあったが、いつも看護の人達にむかって、
「生きたい。まだ死にたくない。」
と、力強い声で叫んでいたということを聞き、因縁の深い、好きな伊香
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