けたので、平素の不沙汰を詫びかたがた、ちょっと顔を出したに過ぎなかった。
 対山は自分の居間で、小型の薬味箪笥のようなものにもたれて、頬杖をついたままつくねんとしていたが、客の顔を見ると、
「久しぶりだな。よく来てくれた。」
と言って、心から喜んで迎えた。そしていつもの剣菱をギヤマンの徳利に入れて、自分で燗をしだした。その徳利はオランダからの渡り物だといって、対山が自慢の道具の一つだった。
 酒が暖まると、対山は薬味箪笥の抽斗《ひきだし》から、珍らしい肴を一つびとつ取り出して卓子に並べたてた。そのなかには江戸の浅草海苔もあった。越前の雲丹もあった。播州路の川で獲《と》れた鮎のうるかもあった。対山はまた一つの抽斗から曲物《まげもの》を取り出し、中味をちょっぴり小皿に分けて客に勧めた。
「これは八瀬の蕗の薹で、わしが自分で煮つけたものだ。」
 客はそれを嘗めてみた。苦いうちに何とも言われない好い匂があるように思った。対山はちびりちびり盃の数を重ねながら、いろんな食べ物の講釈をして聞かせた。それを聞いていると、この人は持ち前の細かい味覚で嚼みわけたいろんな肴の味を、も一度自分の想像のなかで味
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