yの山と海と

 私の郷里は水島灘に近い小山の裾にある。山には格別秀れたところもないが、少年時代の遊び場所として、私にとっては忘れがたい土地なのだ。
 山は一面に松林で蔽われている。赤松と黒松との程よい交錯。そこでなければ味われない肌理《きめ》の細かい風の音と、健康を喚び覚させるような辛辣な空気の匂とは、私の好きなものの一つであった。
 メレジュコオフスキイの『先駆者』を読むと、レオナルド・ダ・ヴィンチが戦争を避けて、友人ジロラモ・メルチの別荘地ヴァプリオに泊っている頃、メルチの子供フランチェスコと連れ立って、近くの森のなかを見て歩く条がある。少年は若芽を吹き出したばかりの木立のかげで、この絶代の知慧者から、自然に対する愛と知識とを教えられているが、こういう指導者を持たなかった私は、いつもたった一人でこの松山を遊び歩いた。そして人知れず行われている樹木の成長と、枯朽とを静かに見入ったり繁みの中から水のように滴り出る小鳥の歌にじっと聴きとれたりした。一葉蘭《いちようらん》が花と葉と、どちらもたった一つずつの、極めて乏しい天恵の下に、それでも自分を娯しむ生活を営んでいるのを知り、社交嫌いな
前へ 次へ
全242ページ中173ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
薄田 泣菫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング