轣A井筒屋の主人がこの茶入に対する愛し方はまた格別なもので、店にいるときは、いつでもこの茶入を箱に入れて側に置き、縋りつくようにしてその箱に手をかけていたということだ。後に家運が衰えて、止むなく三井八郎右衛門に譲渡さねばならなくなったが、せめて箱だけはと言って、そのまま残しておいたのを、とてももともと通りに家が栄えそうにもないので、いつまでも引き離しておくのも本意ないわけだと、その箱をも三井家に送って、久し振に茶入にめぐり合せたのは名高い話である。
 そんな名器に配するように考えられたところを見ても、虚堂墨蹟がむかしからどんなに重んじられたかが、よくわかろうというものだ。

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 紀州家の虚堂墨蹟は、同家の祖先大納言頼宣が、父家康から授ったもので、これについてはいろいろな逸話が伝えられているが、その中で最も興味多く考えられるものを、一つ二つここに思い出してみることにする。

 虚堂禅師の筆が、家康の手から紀伊大納言に下されたことを聞いた当時の老中方は、かねて噂にのみは聞いたことのある名品である。何とかして拝見させていただくわけには往くまいかと、口を揃えて頼宣に頼んだものだ。
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