繧フ折には、それを笈《おい》に収めて輿側《かごわき》を歩かせたものだ。その愛撫の大袈裟なのに驚いたある人が、試しに訊いたことがあった。
「そんなに御大切な品を、もしか将軍家が御所望になりました場合には……」
不昧は即座に答えた。
「その代りには、領土一箇国を拝領いたしたいもので。」
あるとき、某の老中がその茶入の一見を懇望したことがあった。不昧は承知して、早速その老中を江戸屋敷に招いた。座が定ると、不昧は自分の手で笈の蓋を開き、幾重にもなった革袋や箱包をほどいた。中から取出されたのは、胴に珠のような潤いをもった肩衝の茶入だった。不昧はそれを若狭盆に載せて、ずっと客の前に押し進めた。
老中は手に取りあげて、ほれぼれと茶入に見入った。口の捻り、肩の張り、胴から裾へかけての円み、畳附のしずかさ。どこに一つの非の打ちどころもない、すばらしい出来だった。老中はそれをそっと盆の上に返しながら、いかにも感に堪えたようにいった。
「まったく天下一と拝見いたしました。」
その言葉が終るか、終らないかするうちに、不昧は早口に、
「もはやおよろしいでしょうか。」
といいざま、ひったくるように若狭盆
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