1

 元の道士として聞えた画家張伯雨が、あるとき蔬菜の画を描き、それに漢陰園味と題名をつけたことがあった。というのは、むかし、子貢が、丈人と漢陰に出合ったことがあった。そのとき丈人が圃《はたけ》に水をやるのに、御苦労さまにも坑道をつけた井のなかに降りて往き、そこから水甕を抱いて出て来るのを見て、子貢がひどく気の毒がって、そんなまだるっこいことをするよりも、いっそこうしたがよかろうと、槹《はねつるべ》の仕方を伝授したものだ。すると、丈人はむっとした顔をして、ひどく機嫌を損じたらしかった。丈人の嫌がったのは、子貢が心安だての差出口よりも、そんな便利な機械を使う事だった。すべて土に親しんで、蔬菜でも作って楽もうというには、そんな調法な機械をいじくるよりも、どこまでも甕で水を運ぶまだるっこさに甘んじて、その素人くさい労役を味うだけの心がけがなくてはならないが、伯雨はその心持を汲みとって自分の作画に名づけたものだった。後に明の姚雲東がその蔬菜の画を手に入れて、ひどく感心したあまりに、自分でも屋敷のまわりに圃を作り、雑菜の種子を播いて、日々そのなかを耕すようになった。
 そして明暮《あけくれ》蔬菜の生長を見て楽んでいるうちに、雲東は自分でも伯雨のまねをしてみずから土に親んで得た園味を思うさま描き現わしてみたいと思うようになった。
 九箇月を費してやっと出来上ったのは、名高い雑菜の図で、自分の圃に作ったいろんな野菜の写生画と詩文とに、溢れるような田園の趣味を漂わせたものだった。
 伯雨の漢陰園味も、雲東の雑菜の図も、今はどこに伝わっているか知る由もなく、いくら玩賞したいと思ったところで、そんな機会がとても得られるわけのものではないが、私は秀れた作家の手になった蔬菜の図には、ある程度の情熱をさえ感じる。自分の身近くにころがっている、極めてありふれたものを更に見直して、そのなかに隠れている美に気づき、それに深い愛着をもつのは、誰にとっても極めていいことに相違ない。

     2

 肥り肉《じし》の女が、よく汗ばんだ襟首を押しはだける癖があるように、大根は身体中《からだじゅう》の肉がはちきれるほど肥えて来ると、息苦しそうに土のなかに爪立をして、むっちりした肩のあたりを一、二寸ばかり畦土の上へもち上げて来る。そして初冬の冷い空気がひえびえと膚にさわるのを、いかにも気持よさそうに娯しんでいるようだ。畑から大根を引くとき、長い根がじりじりと土から離れてゆくのを手に感じるのは悪くないものだが、それよりも心をひかれるのは、土を離れた大根が、新鮮な白い素肌のままで、畑の畦に投げ出された刹那である。身につけたものを悉く脱ぎすてて、狡そうな画家の眼の前に立ったモデル女の上気した肌の羞恥を、そのまま大根のむっちりした肉つきに感じるのはこの時で、あの多肉根が持つなだらかな線と、いたいたしいまでの肌の白さと、抽き立てのみずみずしさとは、観る人にこうした気持を抱かせないではおかない。唯大根の葉っぱに小さな刺があるのは、ふっくらした女の手首に、粗い毛の生えているのを見つけたようなもので、どうかすると接触の気味悪さを思わしめないこともない。

 銭舜挙の筆だと伝えられたものに、大根と蟹とを配合して、鋭い線で描き上げた小幅を見たことがあった。怪奇な蟹の形相に顫えている、白い純潔な肉の痛々しい恐怖が、いまだに頭に残っている。

     3

 玉菜が、そのむかし海岸植物として、潮の香のむせるような断崖に育ち、終日白馬のように躍り狂う海を眺めて暮していたのは、真っ直に土におろした根の深さと、肉の厚い葉の強健さとでも知られることだ。あの大きな掌面《てのひら》をいくつもいくつも重ね合せて、大事そうに胸に抱いた円い球のなかには、一体何がしまわれているのだろう。静脈の痕ありありと読まれるその掌面を、一つ一つ丹念にめくってゆくと、最後に小さな貝殻のような葉っぱの外には、何一つ残されていないのに気がつくかなしさ。上の葉は下の葉に無理強いにおっかぶせようとし、下の葉はそれを跳ね返して、明るい太陽の方へ手を伸そうとする希望はもちながらも、ある強い力に支配せられて、自分より下の葉には、また同じようにおっかぶせようとしている。その重みと力とが互に咬み合い、互に抱きあって、なかに閉じ込められた葉は、永久に太陽を見ぬいらだたしさ。――私は玉菜を見る度に、いつもそうした胸苦しさを、何よりも先に感じないわけにゆかない。

     4

 里芋は着物を剥がれて、素っ裸のまま、台所の片隅に顫えている時よりも、親芋と一緒に土から掘り出されるおりの方が、ずっとおどけていて、趣きがあるようだ。親芋の大きな尻をとりまいて、多くの兄弟たちが、てんでに毛だらけなからだをすり寄せているのを見ると、小さ
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