間は馬の眼には六尺七寸以上に映ることになる。それゆえにこそ馬は人間におとなしいので、もしか馬が人間のほんとうの大きさを知ることが出来て、芝居の「馬」のように自分の背で反身になっているものが、必ずしも主役の一人とは限らないことを知ったなら、馬は主人を鞍の上からゆすぶり落して、足蹴にかけまいものでもないということだ。馬にこんな不思議な眼を授けた自然は、かまきりにはかなり鋭利な二つの鎌と一緒に、しぶとい反抗心を与えてくれた。これあるがゆえに、お前はあらゆる虫と戦い、草の葉と戦い、風と戦い、お前の母である清明な秋と戦い、はては大胆にも偉大なる太陽に向ってすら戦をいどもうとするのだ。百舌鳥もお前に似て喧嘩ずきな鳥だが、あの鳥の慾望は征服の心地よさにあるので、征服出来そうにもない相手には、滅多に争いを仕かけようとはしない。それに較べると、お前は何という向う見ずな反逆気《むほんぎ》だろう。あの太陽に向って喧嘩をしかけるとは。それにしてはお前の身体はあまりにひ弱すぎる。
「お前は結局自分の反逆気に焼かれて死ぬより外はないのだ。」
私が小声でそっと耳打ちしようとすると、かまきりはもうそこらにいなくなっていた。それでも構わなかった。私は自分の胸に巣くっている、今一つのかまきりに呼びかけることが出来たから。
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蜜柑
黄金色の蜜柑がそろそろ市に出るころになった。
むかし、善光という禅僧があった。あるとき托鉢行脚に出て紀州に入ったことがあった。ちょうど秋末のことで、そこらの蜜柑山には、黄金色の実が枝もたわむばかりに鈴なりになっていた。山の持主は蜜柑取に忙しいらしく、こんもり繁った樹のかげからは、ときおり陽気な歌が聞えていた。
蜜柑山に沿うた小路をのぼりかかった善光は、ふと立ちとまった。頭の上には大粒の蜜柑のいくつかがぶら下っていた。善光は不思議なものを見つけたように、眼を上げてその枝を見つめた。そしてときどきいかにも不審に堪えないように小首をかしげては、何やら口のなかで独言をいっているらしかった。
しばらくすると、程近い樹のかげから一人の農夫がのっそりと出て来た。
「坊さん。あんたそんなところで何してはりまんね。」
善光は手をあげて頭の上の枝を指ざした。
「あすこに変なものがぶら下っている。あれは何というものかしら。」
「変なもの。どれ。どこに。」
農
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