ゆくのがあった。
 家には、縁端に大きな水盤がおいてあった。なかを覗いてみると、なみなみと盛られた水の底に、青い藻草が漂っていて、そのなかを数知れぬ川海老が、楽しそうに泳ぎまわっていた。
 驚いたことには、海老はいずれも金の兜と金の鎧とを身につけて、きらきらと光っていた。
 皆は呆気にとられて、こんな綺麗な海老をどこで捕って来たかを善吉に聞いた。
 善吉は笑ってばかりいて、それには答えなかった。
 黄金の海老は、善吉が商売道具の絵具をもって、こまめに金蒔絵したものであった。
 善吉の妻は、海老のために、毎日餌をやることと、水盤の水を取りかえることとを夫にいいつかっていたが、内職仕事の織物の方にかまけていて、どうかするとそれを忘れがちだった。
 そんな折には、夫の機嫌はとりわけよくなかった。一度などそれが原因で、夫婦のなかに大喧嘩が持ち上ったこともあった。
 その翌日だったか、妻は夫の留守を見計らって、水盤の海老を家の前を流れる小川のなかにすっかりぶちまけてしまった。
 外から帰って来た善吉は、水盤が空になっているのを見て、留守中の出来事を察したらしかった。
 見ると、薄暗い土間に、半ば織りさした木綿機があった。妻は近所あるきでもしているらしく、そこらに姿を見せなかった。
 気味悪くにやりと笑って、善吉はすばしこく土間へ飛び下りた。そしてそこにあった鋏をもって、織さしの布をむざむざとつみ切ったかと思うと、それを一くるめにくるめて、前の小川にぽいと投げ捨ててしまったそうだ。

     3

 海老をまた好いた人に、蜆子和尚という老僧が唐代にあった。和尚は身のまわりに何一つ物らしい物を蓄えないで、夏も冬もたった一枚の衣でおっ通したほど、無慾枯淡な生涯を送ったものだった。腹が空くと、衣の裾をからげて水に入り、海老や、貝といったようなものを採って、うまそうに食っていた。僧かと思えば僧でもなく、俗かと見れば俗でもなさそうで、一向そんなことに無頓着で、出入自在、その日その日の生命に無理な軛《くびき》を負わせないで、あるがままに楽み、唯もう自然と遊戯しているつもりで暮していたらしかった。
 この老和尚を描いたものに、渡辺崋山の作品がある。それは禿頭の和尚が、幾らか屈み腰に、左手に持った網を肩にかたげたまま、右手の指の間にぴちぴち跳ねまわる海老を捉えている図で、脚下《あしもと》に芦
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