との見わけがつかなかったというほどだから、どんなに美しい女だったかはほぼ想像することが出来る。二十七の若盛りで亡くなったので、冒氏は哀惜のあまり、自分の手でこの女の思い出を書き残しているが、それによると、小苑は自分の影を見ることが好きで、月夜には、ああか、こうかといろんな立姿を月あかりにうつして、興に入っていたものだそうだ。
 あるとき、菊を贈ってよこした人があった、花のひかり、葉のつや、枝のたたずまいなど、見るから眼のさめるようなうつくしい花だった。そのおり小苑は病気で床に臥っていたが、やおら起きあがって、白地の六面屏風に花の三方をとりまかせた。そして自分も花の側に座を設けて、灯火が屏風へ投げる二つの影をいろいろと試み直していたが、いくらか疲れが出たらしくぐたりとなって、誰にいうともなく、
「菊の花はほんとうによく出来ているんだが、人間の方がこんなに痩っちまって……」
と悲しそうにつぶやいたということだ。

 自分の姿態と、影と、心持とを、花のもつそれらと交錯させ、諧和させようとする試みは、多くの人が花を自分の好みにねじ曲げるようにするそれとは異って、確におもしろい行き方だと思う。
[#改ページ]

   さすらい蟹

     1

 今日|蛤《はまぐり》を食べていると、貝のなかから小さな蟹が出た。貝隠れといって、蛤や鳥貝の貝のなかに潜り込み、つつましやかな生活を送っている小さな食客だ。蟹という蟹が持って生れた争闘性から、身分不相応な資本《もとで》を入れて、大きな親爪や堅い甲羅をしょい込み、何ぞといっては、すぐにそれを相手の鼻さきに突きつけようとする無頼漢《ならずもの》揃いのなかにあって、これはまた何という無力な、無抵抗な弱者であろう。
 そうした弱者であるだけに、こっそりとそこらの蛤の家に潜り込み、宿の主人といがみあいもしないで、仲よく同じ屋根の下で、それぞれの本性に合った、異った生活を営むことも出来るので、こんな貧しい、しかしまたむつまじい生活を与えてくれる自然の意志と慈愛とは、感嘆に値いするものがある。
 この小さな蟹の第二指と第五指とが、人間のそれと同じように、第三指や第四指に比べて少し短いのは、どうした訳であろうか。自然はこんな目で測られないような小さなものにまで、細かい意匠の変化を見せて、同じものになるのを嫌っているのではなかろうか。

     2
前へ 次へ
全121ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
薄田 泣菫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング