時頃の陽があかるくあたって、庭さきの木芙蓉の影が黒くはっきりと映《うつ》っている。
枝のたたずまい。花のさかずき。ぎざぎざの入ったもみじ形の葉。――そういうものが、くっきりと浮び出したように、白い障子のおもてにその横顔を投げている。
かまきりが一つ、高脚を踏ん張って、葉の裏にすがりついている。
雀が一羽、どこからか飛んで来て枝にとまると、そのはずみに枝が揺れ、葉が揺れ幹がかすかに揺れている。
小さな蜜蜂が、矢のように真っすぐに来て、蕊の高い花びらのなかに隠れたかと思うと、すぐにまた飛び出して往ってしまう。
いそがしい生活の動きだ。
木芙蓉がだしぬけに顔を、肩を、胸を、――、身体じゅうを皺くちゃにして笑い出した。風が吹いて来たのだ。
一瞬の間もじっとしていない自然の動きは、絶えず障子の影絵にその脈搏を伝え、影は刻々にその以前の姿態と心持とを塗抹し、忘却し、喪失して、それに更る新しい姿態と心持とを生み出している。その一刹那の影を捉えて、それにふさわしい形を与えることは、とても無駄な思いつきだろうか。
むかし、前蜀のなにがし夫人は、秋の夜長のつれづれに、ひとり室に籠って考え事に耽っていたが、ふと何かを見つけると、声に出して叫んだ。
「まあ、竹があんなところに……」
平素夫人が愛していた庭さきの竹が、仙女のような瘠せた清らかな影を、紙窓にうつしていた。いつのまにか空には月があがっていたのだ。
絵心の深かった夫人は、早速筆をとって窓の影そのままを一気に墨に染めた。かりそめの出来心がさせた戯れとのみ軽く思っていたこの竹の画は、後でよく見ると、幹も、枝も、葉も、溌溂として生意に富んだ、すばらしい出来だったそうだ。
夫人のこの画こそ、墨竹の初まりのようにいう人もあるが、そんなことはどうでもよい。忘れてはならないのは、夫人が少しの躊躇もなく、自然の一刹那の姿態を捉えたことによって、はちきれるばかり豊富に生意を画面に盛り得たことだ。
2
自分の姿を見て満足を覚える人は、世間にざらにあるだろうが、自分の影を見て限りもない楽みを感ずる人は滅多にあるまい。
明末四公子の一人として、風流の名をほしいままにした冒巣民の愛妾小苑のごときは、その僅なうちの一人に相違なかった。
小苑が紅熟した桜桃《さくらんぼ》をつまんで食べる時には、桜桃《さくらんぼ》と唇
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