ャさな昆虫を配したところにあるが、軽い羽をもった赤蜻蛉も、反抗心に燃えている螳螂も、どっかりと横に寝そべったあの青瓜の大頭《おおあたま》の前に出ては、何となく気圧《けお》されがちに見えるのもおもしろいと思った。

     3

 夜半亭蕪村の描いた真桑瓜と西瓜の化物を見たことがあった。すべての想像に画のようなはっきりとした輪廓をもたせないではおかなかったこの芸術家は、絶えず幻想を娯み、また幻想に悩まされていたのではあるまいかと疑われるほど、妖怪変化について多くの記述と絵画とを遺している。私が見たのもその一つで、遠州見付の夜啼婆、鎌倉若宮八幡の銀杏の樹の化物などと一所に描かれたものだった。山城駒のわたりの真桑瓜の化物が、左手に草履を掴んで、勢よく駆け出そうとする奴姿は、朝露と土とに塗れている軽快な真桑瓜の精として上出来だった。が、それよりもいいと思ったのは、大阪木津の西瓜の化物で、二本差で気取ってはいるが、大きな頭の重みで、俯向き加減にそろそろと歩いている姿には、覚えず心をひかれた。図はずれに大きくなり過ぎた頭の重みから、絶えず生命の悩ましさと危さとを感じて、慢性の脳神経衰弱症にとりつかれている、この幼馴染の青瓜を思うと、私は実際気の毒でならない。

     4

 出来の悪い冬瓜の末生《うらなり》を見ると、じき思い出されるのは、風羅念仏の俳人惟然坊の頭である。この俳人は生れつき頭が柔かいので、夜寝るのに枕の堅いのが大嫌いであった。ある時師の無名庵に泊って、木枕にぐるぐる帯を巻きつけていたのを、芭蕉に見とがめられて、
「お前は頭に奢を持っている男だな。貧乏したのは、そのせいかもしれないぞ。」
と冷かされたのは名高い話だ。私は襤褸屑《ぼろくず》のように破けた葉っぱを纏った、貧乏な、頭痛持らしく額に筋を立てている青瓜を見る度に、あの蝋色の胡粉を散らした歪形《いびつがた》な頭の下に、せめて枕だけは柔かいのをあてがってやりたく思うことがよくある。

     5

 太閤記を見ると、秀吉が朝鮮征伐のために、陣を進めた九州の旅先で、異形《いぎょう》の仮装をして、瓜売になったことが載っている。広く仕切った瓜畑に、粗末な茶店など設け、太閤自ら家康、利家といったような輩と一緒に瓜商人に装って、
「瓜はどうかな。味のよい瓜を買うてたもれ。」
と声まで似せて売り歩いたものだ。すると、
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