謔、に吸って、こんがりと焼け上った気味だ。
唐木机の脚、かぶと虫の兜、蟋蟀の太腿――強健なものは、多くの場合に焦茶色にくすぶっている。
夏末に雑木林を通ると、頭の上に大きな栗の毬《いが》がぶら下っているのを見かけることがよくある。爆ぜ割れた毬の中から、小さな栗の実が頭を出してきょろきょろしているのは、巣立ち前の燕の子が、泥の家から空をうかがっているようなもので、その眼はもの好きと冒険とに光っているが、燕の母親がその雛っ児たちを容易には巣の外へ飛出させないように、胸に抱えた子供たちの向う見ずな慾望を知っている栗の毬は、滅多に自分のふところを緩めようとはしない。
殻《から》のなかに閉じ籠って、太陽を飽食している栗の実は、日に日に肉づいて往って、われとわが生命の充実し、内圧する重みにもちこたえられなくなって来る。
実《み》が殻から離れゆく秋が来たのだ。内部の強い動きから、毬はおのずと大きく爆ぜ割れる。
向う見ずの栗の実は、「まだ見ぬ国」にあくがれて、われがちに殻から外へ飛び出して来る。焦茶色の頭巾をかぶった燕の子の巣立ちである。
あるものは静かに枯葉の上に落ち、あるものは石にぶっつかり、かちんと音を立てて、跳ねかえりざま、どこかに姿をかくしてしまう。――どちらにしても、親木の立っている場所から八尺とは離れていない。彼らはそれを少しも悔まない。彼らにとって、ともかくもそこはまだ見ぬ国なのである。焦茶色の外皮の堅さは、こんな場合にもかすり傷一つ負わさない。
私はこんなことを思いながら、栗の実の二つ三つを噛んで、それを火鉢の灰に埋めた。灰のなかからぷすぷすと煙がいぶり出して来た。
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老樹
1
南メキシコの片田舎に、世界で一番古いだろうと言われる老木が立っている。それはすばらしく大きな糸杉《サイプレス》で、幹の周囲が百二十六|呎《フィート》、樹齢はごく内輪に見積っても、まず六千年は請合だと言われている。
私の住んでいる西宮をあまり離れていない六甲村に、今度天然記念物となった大きな樟樹がある。幹の周囲三十八尺六寸、根もとの周囲六十四尺にあまるすばらしいもので、樹齢はざっと千三百年にはなるだろうということだ。その附近に住んでいる、今年七十二才の前田某という老人の言葉によると、今から六十年ほど前、老人が十二、三才の頃には、この木の幹
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