ネ生物のような気がして、尻っ尾のないのが不思議なくらいのものだ。
 土だらけの里芋の皮を削り落そうとするとき、どうかすると指先が痒くてたまらなくなるのは、玉葱や辣薤《らっきょう》を手にするときに、眼のうちが急に痛くなるのと同じように、土から生れたものの無言の皮肉である。
 今から二十四、五年前に、私は徳富健次郎氏と連れ立って、大阪道頓堀の戎橋の上を通っていたことがあった。大跨に二、三歩先を歩いていた徳富氏は、急に立ちとまって背後をふり返った。
「薄田さん。あなたお弟子をお持ちですか。」
「弟子――そんなものは持ちませんよ。」
 その頃やっと二十五、六だった私に、弟子などあろうはずがなかった。
「それで安心しました。どうかなるべく弟子なぞもたないようにして下さい。子芋が出来ると、とかく親芋の味がまずくなるものですからね。」
 徳富氏はこう言って、またすたすたと歩き出した。
 私はその後、それと気づかないでえぐ芋を口に含んだときには、すぐに徳富氏のこの言葉を思い出して、
「青道心《あおどうしん》の小坊主め。お前一人は親の味をよう盗まなかったのか。気の毒な奴だな。」
と、苦笑いさせられたことがよくある。

     5

 籠に盛られた新鮮な白菜をみるとき、私はまず初冬の夜明の空気の冷さを感じ、葉っぱの縮緬皺にたまった露のかなしい重みを感じ、また葉のおもてをすべる日光の猫の毛のような肌ざわりの柔かさを感じるが、その次の瞬間には、すぐこの野菜が塩漬にせられた後の、歯ざわりの心よさを感じぬわけにゆかない。
 ちょうど赤楽の茶※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1−88−72]を手にした茶人が、その釉薬のおもしろみに、火の力を感じると同時に、その厚ぼったい口あたりに、茶を啜るときの気持よさを感じるのと同じようなものだ。
 どうにも仕方がない。
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   栗

 今日但馬にいる人のところから、小包を送って来た。手に取ると、包みの尻が破けていて、焦茶色の大粒の栗の実が、四つ五つころころと転がり出した。
「いよう。栗だな。丹波栗だ……。」
 私は思わず叫んだ。そしてその瞬間、子供のように胸のときめきを覚えた。
 どれもこれも小鳥のように生意気に嘴《くちばし》を尖らし、どれもこれも小肥りに肥って、はち切れそうに背を円くしている。
 焦茶色の肌は、太陽の熱をむさぼる
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